メシアン

2009年1月22日 (木)

メシアン 創造のクレド〜早島先生からのクリスマスプレゼント〜

 昨日、幸せなことに、オルガニストの早島万紀子先生からクリスマスプレゼントに一冊の本を頂いた。
 アルムート・レスラー著 吉田幸弘訳「メシアン 創造のクレド〜信仰・希望・愛〜」(春秋社)。メシアン生誕100年を記念して昨年出版されたばかりの本だ。
 昨年のメシアンのオルガン作品のコンサートの後 先生にお礼の電話をした折に、メシアンの愛弟子である著者のアルムート・レスラー氏はご友人であると伺っていた。
 実は、私は先生の姪御さんのピアノの不肖の(!)教師をさせて頂いている。昨年先生のお宅でのクリスマスパーティにお呼ばれしていたのだが、ブーケ・デ・トンのための「・・・微笑む天使」の作曲のため行かれずに失礼してしまった。「昨日・・・頂いた」と言ったのはそうしたわけで、今年最初のレッスン日であった昨日に、姪御さんから先生からのプレゼントを受け取ったのだった。
 そして今日プレゼントを開けたら、なんとこの嬉しい贈物だったというわけで、早速扉を開くと、そこにはメシアン先生のお写真。そして、頁を捲ると、1978年の11,12月パリで行われた演奏会「生誕70年記念メシアンフェスティヴァル」のプログラムからのメシアン先生の次のようなお言葉が掲載されている。紹介したい。

以下引用

プログラムへの序

 科学的な研究や数学的な証明、数多(あまた)の生物学的実験が、一度でも我々を不確実性から救った試しはありません。まったく逆にそうしたものは、現実と信じられていたものの中に新たな現実を見せ続けることで、私たちの無知を拡大してきました。実際のところ、唯一の現実とは、異なる秩序によるものー信仰の領域に見いだせるものです。もう一つの存在(傍点有り)に遭遇することによってのみ、私たちにはそれが解るのです。
 しかしそのためには死と蘇生(よみがえり)を経なければならず、また一時的な物事を飛び超えることを意味します。大変不思議なことに、音楽は絵画として、反証として、象徴として、その備えをさせてくれます。実際に音楽は、空間と時間、音と色彩の間で交わされる果てしない対話であり、統一へと導いてくれる対話なのです。時は空間であり、音は色彩であり、空間は重ね合わせられた時の複合体であり、音の複合体は色彩の複合体と同時に存在します。音楽家で、考える者、見る者、聞く者、話す者であれば、こうした根本的な概念を通して、ある程度は来世に近づくことができます。そして聖トマス・アクィナスが述べたように、音楽は「真理の既成事実(デフォールト)」を通して私たちを神へと導きます。神ご自身が「あふるる真理」によって私たちを眩惑(まどわ)す日まで。おそらくそれは、音楽の大切な意味ー行く手をも指し示す意味ーなのです。

                           オリヴィエ・メシアン

引用以上(吉田幸弘 訳)

 このブログ上で以前にも書いたが、私はクリスチャンではない。また、仏教徒でもないが、神社に行けばお参りし、法事にお寺に出かけ、クリスマスには「メリークリスマス!」と言うことに何の違和感も感じない、おそらく古くからのやおろずの神やアイヌ的な自然崇拝の流れを内深くに持つ、極一般的な雑種的日本人ではないかと自己認識している。しかし、そんな私だからとは言え、メシアン先生のような敬虔なカトリック信仰者のお言葉に何も感じないということはないのである。特にメシアン先生の音楽との照応でその言葉には光が感じられる。「音楽は絵画として、反証として、象徴として、その備えをさせてくれます。実際に音楽は、空間と時間、音と色彩の間で交わされる果てしない対話であり、統一 へと導いてくれる対話なのです。時は空間であり、音は色彩であり、空間は重ね合わせられた時の複合体であり、音の複合体は色彩の複合体と同時に存在しま す。音楽家で、考える者、見る者、聞く者、話す者であれば、こうした根本的な概念を通して、ある程度は来世に近づくことができます。」とは、僭越ながら拙作についての私の考えと響き合うものを感じるのである。厳密な言葉の定義の上での比較論は省くが、例えば、私たちは戦争という人類史上の大罪に直面している。それを内面で受け止める時に巡る諸々の対話が『ラヴェルの墓』であると言える。私は私なりのことばで「伝達可能な音楽」を希求すると言った。まだまだ達成されていないし未熟さもあると思うが、自らの認識と感性によってひとつの音楽の「言語体系」を紡ぎ上げていくことが作曲家の仕事ではないかと思っている。

 話は代わるが、私は1978年の「主イエス・キリストの変容」のロリン・マゼール指揮フランス国立管弦楽団/フランス国立放送合唱団による日本初演に立会っている。私の席の4,5メートル斜め前方の席での、とても真剣な超真面目な面持ちでご自身の総譜を手に演奏を聴かれていらっしゃったメシアン先生のお姿をよく憶えている。ご自身の作品の発表の際はどこへでもお出かけになられるという話は有名だったが、その現場に居合わせられたことを光栄に というか 嬉しく思っていた。しかしその時の「主イエス・キリストの変容」の「繰返し」には少々辟易した記憶がある。正直なところ何かくどくどとお説教されているような気持ちになってしまったのだ。繰返しの最後の辺りでは「もういいよー。解りましたよー!」などと不遜ながら思ってしまった。しかし「忘れられた捧げもの」「鳥たちの目覚め」「七つの俳諧」などはとても好きであるし、昨年11月の早島先生によるオルガン作品にも感銘を受けた。特に晩年の作品の恐いほどの峻厳な響きには、戦争という大罪や現代文明の矛盾に厳しく対峙し得るものを感じる。早島先生の演奏のお姿には、両の手を捏ねながら森羅万象を創造する創造主のイメージが重なった。メシアン先生がそこにいらっしゃるような気もした。後で伺ったことだが、実際、練習の際にメシアン先生が現れ、耳元でアドヴァイスを囁かれるのだそうだ、「それでいいのだよ」と。

 

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