はるあんノート - 作品 -

2012年11月29日 (木)

Syzygy

芸術とは既成観念という檻からの脱出である
時は確実に変わってゆく
しかし私は
胸を締めつけられるような郷愁と
期待と不安の入交じった未来への激しい憧憬との間に
引裂かれた現在(いま)を生きている

この広大な宇宙の中での出会にはどんな意味があるのだろう?

そこにはこの宇宙での不可避的な出会の意味があるのだ
それは魂と魂の出会であり
そこにはそこから何かが生まれることの真実に充ちている

人はひとりでは生きられないし
またその真実を軸として
それを巡って世界は動いているのだ

ひとりのもの言わぬ少女の瞳が
私を動かす
一匹の猫の仕草が
私を動かす
一羽の鳥の羽ばたきが
私を動かし
やがて空からの恩寵のように
雨が降りそそぐ

雨は幾条もの小さな川を作る
その小さな川は重なり合って大きな川となり やがて
海へと向かうだろう

海の波間に揺られながら
溶合う魂のうたを
私は聴く

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2007年7月24日 (火)

平和への歩みまたは揺籃(1)

 小布施の風(1)〜♪L'OFFRANDE〜の続きとして、岩崎のパン屋さん(御祖母さん)のことや、葛飾北斎のこととかを書きたいと思っていたのだけど、なかなか機会ができずに時が経ってしまった。(・・・きっと書きます!)

☆ラヴェルの墓

 今気掛かりなことに沖縄のことがある。基地建設の問題だ。これはぼくたちの、或いは子供たちの未来の問題だ。
 沖縄の人たちのことを考えれば、それは胸の詰まる思いに駆られる。
「日本の楯」「日本の捨石」と言われた沖縄。そして、戦後 基地をかかえる沖縄。 
 沖縄の人たちに戦後はなかった。

 そして実はぼくもなのだ。でも、本当に身にしみてまでそう思ってはいなかった、鷲谷サトさんに出会い、そして鷲谷さんが亡くなられて暫く経つまでは。

 鷲谷さんの足跡を追うように、《ラヴェルの墓》の作曲は始まった。そしてそれは、螺旋を描くようにぼくの大切な亡き人たちへの追憶を巡る。

 

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2007年3月28日 (水)

小布施の風(1)

♪L'OFFRANDE

 先週、Bouquet des Tonsの一行にお伴させて頂き小布施に行った。
 5年 前のちょうどその頃、スタートメモリアルハウスのホールのアップライトピアノを前に私は“小さな賛美歌”を作曲していた。“小さな賛美歌”はその晩 新生病院のオープンスペース「メイプル」で開かれるチャリティーコンサートで私自身がピアノで発表するための掌品で、Bouquet des Tons(以後BDTと略記)の皆さんが大変お世話になったという新生病院の宮島義人さんが別の病院へ転勤されるというので(註:現在は新生病院に戻られ ている)、その日の朝、では送別のための曲を献呈差上げよう ということになり、結局リハーサルも終わった本番前のわずかな時間に仕上げなくてはならないことになってしまったのだが、ピアノの前の私の傍らでは、時 折、宮島さんや箭野チャプレンがお忙しそうに走り回っていらした記憶が脳裏の片隅にぼんやりと淡い光のように浮かぶ。

 宮島さんはその日の晩餐のシェフを務めていらしたが、その晩のブイヤベースは 翌朝、絶品のシーフードカレーに変身していた。そのおいしさと言ったら...!!!

 そして今回は箭野チャプレンの送別会だった。
 宮島さんも含めて小布施の方々との5年ぶりの再会となった。

 今回は事前に話を伺っていたので、BDTの編成のために箭野チャプレンに捧げる曲を前もって書き下ろすことが出来た。それは、御水取りの興奮冷めやらぬ奈良で5年前に観た小布施の風景や風を想いながらの作曲だった。

  5年前の宮島さんへの献呈にしても今回の箭野チャプレンへの献呈にしても、私の中ではとても僭越なことをしてしまったという反省もあるのだが、その瞬間瞬 間の思いは私にとってはまぎれもない真実だった。今回、初演を前に「小布施の美しい風景や風を音楽に閉じこめることが出来たら...」という願いを込めて 作曲した旨を聴衆の皆さんに私は告げた。(つづく)

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2004年7月23日 (金)

オーヴェルニュの歌(1)

 先日(7月11日 墨田トリフォニー小ホール)室内アンサンブルのBouquet des tons の委嘱で編曲したカントルーブの「オーヴェルニュの歌」が初演された。これは作曲家のカントルーブが郷里のオーヴェルニュ地方の民謡を採取したものをソプラノと管弦楽のために編曲したものに基づくもので、つまり編曲の編曲ということになる。ただし、「編曲」と称される分野にはいろいろあって、このカントルーブの場合、これはもうカントルーブという作曲家の作品であると言える次元のものであるだろう。今回の僕の「編曲」とは、あくまでもそのカントルーブの内容に沿ったもので、ほぼ、異なる編成のためだけの編曲であると言える。つまり別の「編曲」の可能性として、カントルーブは無視して、同じ民謡のメロディーに全く異なる編曲を施すこともあり得たのである。例えばベリオによってなされているキャシー・バーベリアンのための「フォーク・ソングス」の中でのように。それは楽器編成のみならず和声付けも異る「ベリオの作品」となっている。でも今回そのようなことはしなかった。
 僕がそのような「編曲」をしなかったのは、依頼主のBouquet des tons(以下BDTと略記)からそうした求めがなかったことにもよるが、僕自身もそれはしたくなかった。全5巻27曲すべてを、(いや、それに留まらず、カントルーブはこのオーヴェルニュ地方の民謡の他にバスク地方の民謡も採取編曲しているのだが、それらも含めて)やらせてください、と無理を承知で言ったほど僕はこのカントルーブの作品をかなり愛しているのだ(バスク地方のも含めてと言ったのには別の理由もあるが、それについてはラヴェルについてのエッセイの時に譲る)。
 ともかく、編曲の参考のために、あらためて何度も何度も「オーヴェルニュの歌」を聴く時間が持てた。かなり幸せな仕事だった。前から思っていたことだが、全曲を通して聴いていると、これは羊飼いたちのオペラなのではないか、という気がしてくる。
 真っ先に編曲したいと思った歌がある。でも、すぐに断念した。「バイレロ」。
 この音楽(カントルーブのオーケストレーション)からは、山々の間から草原に差す明るい陽光や川のせせらぎや羊飼いの笛なんかが聴こえてくる。BDTの編成では全く別世界になってしまうだろう。
「羊飼いさん、野は花盛り。こっちへ来ない?」
「川が二人を隔てて渡れない」
 川を挟んでの問答歌だ。
「バイレロ」を聴くと、歌とは瞬間の永遠化なのだと思えてくる。(つづく) 

 

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