♪演奏会随想

2015年12月23日 (水)

アンサンブル室町によるエドガー・ヴァレーズと室伏鴻に捧ぐ墓

『アンサンブル室町によるエドガー・ヴァレーズと室伏鴻に捧ぐ墓』に行きました。私のオペラ指向にとって久し振に刺激的な一時でした。

終演後、テシュネ氏に握手と共にお礼を言った際に「とても良かったのか?」と問われて、こうした機会がいかに人類にとって重要であるかということを思いつつも、そう簡単に演目のディテールについてまでのコメントは出来ない という私のその場の心境(…言葉ではなく目で表現したように思います…)を察してくださったのかどうかはともかく、私のこのブログには私の演奏会に対する感想を記録に留めておきたいと思います。でも、決して誤解して欲しくないのは、私には愛があるということを。

当日プログラム表紙とp.1“Programme”画像をアップ(OSのバージョンアップに伴いスキャナーが使えなくなったので取急ぎスマホ画像から)
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また後ほど追記します。

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2015年7月15日 (水)

「風よ未来へ」(追記あり)

先月(2015年6月)27日、南部合唱団音楽会「風よ未来へ」に当団よりの委嘱編曲〈原爆を許すまじ〉の再演もあり招待を受け出掛けました。
その打上の席で私が話したことを当団発行の新聞「南部新聞」に掲載してもよいかというお話を受け当誌に寄稿した原稿をここに掲載させて戴きます。音楽会の簡単な随想も兼ね、現時点での深刻な問題に、〈大人は手遅れかも知れないが子供たちに伝えなければならないことがある〉の作曲でここ最近大変お世話になっています山崎康彦さんの「革命理論」にも触れ、核心に触れる内容になっているとは思います。が、この時点での私の限界もあって、不足な面も多々あります。それは後に補って行こうと思います。

以下、寄稿記事掲載。

「風よ未来へ」または 原爆・憲法・原発、そして戦争か平和か?
                                   髙橋 喜治(作曲家)

 先月6月27日(土)大井町きゅりあん大ホールにて南部合唱団音楽会「風よ未来へ−わたしたちの想いをのせて−」が開催されました。私は、南部合唱団のヴォイストレーナーを務めていらっしゃる声楽家(ソプラノ)の鶴岡恵さんの紹介によりこの日再演された〈原爆を許すまじ〉とその他に〈日本国憲法前文〉の編曲の依頼を戴きこれまでに演奏されているという関係でこの日招待を受け会場に出掛け、終演後の打上の席で私が述べたことを新聞に掲載させて欲しいという南部合唱団書記長大寿美幸子さんよりお話を戴き今これを執筆しているのです。
 まさに戦後の歴史の歩みと共に活動を継続して来られた南部合唱団は自他共に認められる「社会派合唱団」であると言えるでしょう。今回のプログラム後半にも、事故後の福島の取材から団の皆さんで作詞し、オープニング曲と同じ団のテノールの小島啓介さんが作曲された《いつの日かきっと》が発表され、その後、外山雄三先生の《そして一輪の花のほかは》より“新しい憲法のはなし”と“日本国憲法第九条”そして作詞/浅田石二・作曲/木下航二〈原爆を許すまじ〉が続けて演奏されました。それは今まさに安倍政権によって遮二無二成立させられようとしている「戦争法案」を前に私たちの心に切実に響く音楽でした。
 今回の音楽会のタイトルともなった素敵なオープニングの曲〈風よ未来へ〉での加山明美さんのソプラノ独唱の奇麗だったこと、この〈風よ未来へ〉のみならず前述の《いつの日かきっと》もされている小島啓介という作曲家を抱えていることを団として誇れること、毎回の愉しみとなった和太鼓演奏の伝承の大切さ....などなどについて、ここで詳しく繰返すことは省かせて戴き、私は南部合唱団の皆さんからの音楽による問題提起に触れ、今 差迫った最も深刻な問題にこの場で斬込みたいと思います。驚愕の事実と一条(ひとすじ)の希望の光としての解決策をも提示しようと思います。

 鍵は私たちの「日本国憲法」にありました。

 安倍晋三が戦後戦犯として処刑されることと引替にCIAのスパイとなった岸信介の孫であり、晋三はその祖父岸の遺志を継ぎ改憲を目論んでいることは既に人口に膾炙していますが、では、この明らかな憲法違反が何故、こうも放置されたままでいられるのか? そのことに正面から向合い説明できる人はこれまでいませんでした。その理由は「タブーに触れる」ことになるからでしょう。しかし、最早情況は大きく変わりました。
 憲法第81条は「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」筈なのですが、守られたためしがありませんでした。この第81条についてはまた後で触れます。
 第41条では「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。」と、三権分立の「立法」は国会に権限がある筈なのですが、現実は内閣が起案しこれを閣議決定で決定し、国会で賛成多数(数の力で)で強行採決してしまうという暴挙が平気で為され、しかも「衆議院の解散は内閣総理大臣の専権事項」などという規定は憲法上には無いのにもかかわらず立法の最高機関である国会を差置いて総理大臣が勝手に解散を決めてしまうのです!
 ところで「法の番人」などと呼ばれもする内閣法制局は、明治憲法時代の名残で、法的根拠の無い慣習的存在でしかないことを皆さんはご存じでしたか?

 さて、以上の事実を踏まえ、これから「解決策」に話は向います。 
 自民党改憲草案をよく読んでみると、まず文脈上の前後の整合性のない箇所が有り、これを「憲法」などと呼べる次元の代物ではないことがまず判ります。しかし、現行憲法との照合で、オモシロイ事実が浮かび上がって来るのです。
 前述の国会の規定 第41条は草案でも現行そっくりそのままなのです(☞http://blog-imgs-80.fc2.com/r/e/f/refletsdansleau/kenpou41.png)が、なぜか第54条の頭にいきなり「衆議院の解散は、内閣総理大臣が決定する」の一文が付加えられているのです(☞http://blog-imgs-80.fc2.com/r/e/f/refletsdansleau/kenpou54.png)。そして、内閣の職務条項である第73条の第5項に現行では「予算を作成して国会に提出すること。」と予算のことしか書いてないのに草案では「予算案及び法律案を作成して国会に提出すること。」とちゃっかり「法律案」も付加えられているのです(☞http://blog-imgs-80.fc2.com/r/e/f/refletsdansleau/kenpou73.png)。

  これが意味するところをお解りですか?

 ここで私は麻生太郎氏の悪名高い「あの手口講演」の内容を想い起します。
 拙ブログ記事より引用します。字数節約のため改行を省略しますが、途中のスラッシュ(/)は元の改行を意味します。「僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。/ 昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。/ わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。」引用以上。(☞http://refletsdansleau.blog.fc2.com/blog-entry-105.html

 嘘みたいな冗談みたいな話ですが嘘でも冗談でもなく自民党改憲草案の実現は独裁体制の完成を意味していたのです。まさに改憲草案にこっそり忍び込まされた文言によってナチスの全権委任法に匹敵する権力の復活が目論まれていたのです。

 この「自民党改憲草案の実現」から逆算的にこれまでの政府の実相を観て行きますと、前述の内閣法制局も、沖縄密約や原発推進の日米同盟以来の違憲性を誤魔化すために付け焼き刃的に置かれていたにすぎなかったのではないかとさえ思えてきます。砂川事件裁判判決で採用された統治行為論も然り。憲法違反を誤魔化し誤魔化し続けてきて、改憲草案の実施と戦争ですべてをチャラにしてしまおうという魂胆が、霧の中からその悍しい姿が、ついに臆面もなく晒され始めているのがまさに今!なのです。

 ここで前掲の憲法第81条に再度触れます。
 条文にあるように「終審裁判所」である筈の最高裁が何故、実際の憲法違反を目前にして沈黙しているのでしょうか? それは元最高裁長官三好達(みよし とおる)が日本最大の極右組織「日本会議」の会長を15年も努めていたことや元最高裁長官石田和外がやはり「日本会議」の会長であったことと無関係ではないどころか、徴兵制をも目論んでいるこの「日本会議」或いはその構成員が重なり合っている「神社本庁」、「創価学会」をはじめとするカルト集団・「統一教会」、「在特会」などに支えられながら最高裁のみならず政府がほぼ旧体制勢力に「牛耳られていた」と言っても過言ではないことに拠ります。安倍晋三は米国ネオコンの命令をいいことに国民のお金を大量に彼らに流しつつ戦後温存されてしまっていたこの旧体制勢力の大躍進 つまりは天皇を元首とした大日本帝国の復活を目論んでいたのです。

 因に創価学会に支えられた公明党は憲法第20条の政教分離原則に明らかに違反しています。私はこれまでずーっと憲法違反なのに何故放置されているのか、第98条によって無効となるべきなのに何故そうならないのか? 何か決定的な解決策はないものかと非常に歯痒くもどかしい思いでいました。特に311以降、放射能に曝されたままこれといった解決策も打出さないまま原発の再稼働や増設、他国へのセールスまで言い出す始末の政府とは狂気以外の何者でないとさえ思っていました。

 しかし、去る5月24日、歴史的瞬間と言っても過言でない時が訪れました。
 山崎康彦さんというネットジァーナリストで市民政治活動家の放送されているYYNewsLive特別講演「安保法案と安部自公政権を同時に打倒できる秘策とは?」で山崎さんより述べられた「秘策」こそ、この原稿にて僭越にも私がこれまで述べてきた見解に至ることを可能にしてくださった山崎さんの「発見」とも言っていい事柄だったのです。この内容につきましては是非とも実際のその放送の録画を観て戴けましたら幸です。(☞http://twitcasting.tv/chateaux1000/movie/171146943

 この放送以降、山崎さんは「一千万人情報拡散運動」として情報共有のためのメーリングリストを作成をご自身されていますので、ご協力してくださる方は是非メール差上げてください。(山崎康彦さんのE-Mail yampr7@mx3.alpha-web.ne.jp)

 今後の課題として、戦争を避け、平和の世界を実現させるためには、以上のような憲法違反を国会議員の方々がどれだけ自覚し、これまでの違憲に対しての本格的な反省と改善に取組むことを、国民の世論と実際的な働きかけで、実現させることができるかどうかにかかっています。私は山本太郎氏にメッセージを送っていますが、このことを理解できないのか、先の解散総選挙もまた違憲なのでご自身も非合法議員であるという事実を受入れることを躊躇されているのか、よく判りませんが、まだ確かな反応は戴いていません。

 次に、その他の問題として、これは山崎康彦さんから直接戴いたメールからそのままを引用させて戴きますが、「日本の国と地方の税収の55.5%(49,2兆円)が460万人の公務員を世界最高の給与と優遇労働条件で雇うために使われていること。/そして歴代自民政権と財務官僚とメガバンクが自分たちの利益のために乱発してきた各種国債(赤字、建設、財投)と銀行借り入れがつもりに積もって今年3月末時点で1053兆円の借金となっていること。/自民党政権と財務省は、大手マスコミを使って国民一人あたり830万円の借金として、借金の責任と返済義務を国民に課すような世論誘導が盛んにしていること。/またこの借金の返済のために税収の26.9%(23.4兆円)が国債費として使われていること。そして残りの国民1億2200万人に使われる税金が残りの17.6%(15.7兆円)しかないこと。/足りない財源を埋め合わせるために歴代自民党政権は毎年30兆円-40兆円の赤字国債を発行していること。/国債や借入金の受けてはすべてメガバンクであること。」

 結局、これはいったい何なのでしょうか?! 政治とは犯罪ですか? 政府とは犯罪者集団なのですか?

 以上の他に安倍晋三をコントロールしている米国ネオコンの正体と国際金融マフィアロスチャイルドの世界支配についても書くべきでしたが、余りにも長大になってしまいそうですので、それらにつきましてはまた別の機会に譲らせて戴きたく思います。

 最後に、ふたつの言葉を引用して終りたいと思います。
 最初は、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの名言「最大の悲劇は、悪人の暴力ではなく、善人の沈黙である。沈黙は、暴力の陰に隠れた同罪者である。」
 次に私の名言ならぬ迷言(?)「人類が自然と共に存続する限り、音楽は永遠である。」

                  2015年7月3日(金曜日)に記す

寄稿記事掲載、以上。

........................................

共有ページ
Reflets dans l'eau 「風よ未来へ」

関連ページ
(改題)非合法安倍政権の最期は近い

*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*
以下、追記。

安倍政権とは実質憲法破壊のクーデター政権であるわけですが、この体質のルーツはいったいどこにあるのでしょうか? それは「田布施システム」です。

田布施システムについて
Reflets dans l'eau 不条理システム - 1 - 政治体制と「日本の真相」

 

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2015年1月 9日 (金)

《ペレアスとメリザンド》その1

前回につづきここでは《ペレアス・・・》について。



●随想《ペレアスとメリザンド》演奏会形式


先月7日、友人が仕事の関係で行かれなくなったということで譲り受けたチケット(正確にはチケット引換券=葉書)を手に、久し振りにNHKホールに出掛けました。

このNHKホールでのオペラ体験は1993年のキーロフ(現 マリインスキー)オペラ来日公演でのタルコフスキー演出による《ボリス・ゴドノフ》以来なので、なんと! 21年ぶり(「久し振り」なんてどころじゃない)...。と言っても、今回のオペラは演奏会形式でしたが、私は「下手な舞台よりも演奏会形式!」と常日頃から思っていましたし、しかも今回マエストロ・デュトワ曰く、このオペラは「むしろ演奏会形式がふさわしい」(プログラムに掲載)というだけあって ―かどうかは別としても、確かに作品の本質がくっきりと明瞭に伝わる上演であったことには違いありません。

こうしたオペラが誕生し得たことは人類史上の奇蹟ではないだろうか? と思えるほど、この作品は美しい。そしてその美しさは「死」によって輝いている。こう言うとデカダンスと思われるかも知れませんが私はそうは思わない、ドビュッシーは全てを見通す心眼を具えた醒めた芸術家でした。或いはボードレールの「万物照応」を体現した作曲家と言えるでしょうか。

「自然」はひとつの宮殿、そこに生ある柱、
    時おり、捉えにくい言葉をかたり、
    行く人は踏み分ける象徴の森、
    森の親しげな眼差しに送られながら。

    夜のように光明のように涯(はてし)もない
  幽明の深い合一のうちに
  長いこだまの遠くから溶け合うように、
    匂と色と響きとは、かたみに歌い。

    この匂たち、少年の肌に似て爽かに、
    牧笛のように涼しく、牧場のように緑に、
    ―その他に、腐敗した、豊かな、勝ちほこる

    匂にも、無限のものの静かなひろがり、
    龍涎(りゅうぜん)、麝香(じゃこう)、沈(じん)、薫香(くんこう)にくゆり、
    精神と感覚との熱狂をかなでる。

  ~ボードレール「万物照応」(福永武彦訳)


いろいろ述べる前に、このコンサートのことメモっておきます。
20141207chirashiomote

N響第1796回定期公演
日時▶2014年12月7日(日) 15時開演(開場は14時)
会場▶NHKホール

指揮:シャルル・デュトワ

ペレアス:ステファーヌ・デグー(バリトン)
メリザンド:カレン・ヴルチ(ソプラノ)
ゴロー:ヴァンサン・ル・テクシエ(バスバリトン)
アルケル:フランツ・ヨーゼフ・ゼーリヒ(バス)
ジュヌヴィエーヴ:ナタリー・シュトゥッツマン(コントラルト)
イニョルド:カトゥーナ・ガデリア(ソプラノ)
医師:デーヴィッド・ウィルソン・ジョンソン(バリトン)
羊飼い:浅井隆仁(バリトン)

合唱:東京音楽大学(合唱指揮/阿部純)
コンサートマスター:篠崎史紀

メリザンド役のヴルチさんは私の席からはお顔まで鮮明に見える距離ではなかったのですが、聴いての全体的印象では儚げなメリザンド役にぴったりの好演でした。他の方々もオーケストラも素晴らしく、特に指揮のデュトワ氏の音楽の運びや色彩感はドビュッシー芸術の神髄を伝えるに充分であったと思います。

つづく


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2013年12月15日 (日)

この星の夜空の下、恒久平和への祈りの歌声が響渡った!

先日(2013年12月11日)、平和への祈りの歌声が夜空の下(きゅりあん大ホール)、響渡りました。(既掲載記事参照)

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この星の皆で「決して変えさせない!」と決意しないと今の心ない政権によって戦争肯定の戦前回帰的なものに無惨にも変えられてしまいそうな私たちの平和憲法『日本国憲法』をサブテーマとした演奏会でした。
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ほとんど独裁とも言える現政権によって、特定秘密保護法法制化、日本版NSC創設と、国民の思いなどお構いなしに、次々と戦争への準備を進められてしまっている中で、一曲一曲から、それぞれの曲に託された切実な思いが、しみじみと伝わって来る音楽会であったと思います。

南部合唱団の皆さんは創立55周年ということで、ほぼ私の人生とも重なる時を経て来られた歴史・時代感を共有出来るという思いから、何故かこの日は非礼ながらも普段着で出かけてしまいました。

もともと歌が好きな子供だったのですが、作曲家を志し、時を経るうちに、自らは人前で歌うことを止めてしまいました。しかし、たとえどんな作品でも私の仕事の根底には「うた」が在ると思っています。歌が音楽の基本なのです。
20131211kyurianprogp4
また、人の歌声の響きに、思いや感情の流れだけでなく、人の温かいぬくもりも感じられるのですが、ことにそうした魅力を感じさせるプログラムだったと思います。

混声合唱だけではなく、男声合唱の魅力(〈津軽平野〉作詞作曲/吉幾三 編曲/小林康浩)、女声合唱の魅力(〈童神〉(わらびがみ) 作詞/古謝美佐子 作曲/佐原一哉 編曲/森知紀 補編曲/吉田桂子)と形態のヴァリアンテも愉しめ、また、和太鼓の魅力(〈花筺〉(はながたみ)作曲/玉村武)もあり(合唱団団長の大井かつ江さんも和太鼓で大活躍!)、それに、JAL不当解雇原告団のメンバーで結成された合唱団の皆さんも加わっての〈あの空へ帰ろう〉の飛入りもありました。

〈あの空へ帰ろう〉(作詞/青木一馬 作曲/武義和)は、グローバリズム吹荒れる昨今、安倍政権も推進している企業優先(コーポラティズム)の冷酷な合理主義(問答無用切捨御免!)の犠牲となられた方々の、職場への復帰を願う切実な思いが歌われた名曲です。
(参考→Jal不当解雇撤回裁判原告団|Facebook

これはTPPとも関係する問題ですが、航空機のみならず安全第一が厳しく要求される様々な乗物や設備、原発もそうですし(と言うか、元々安全なんてあり得ない)、医薬品、穀物や食品に至るまで、企業の利潤追求が優先され、安全が疎かにされ、自然が蔑ろにされ、生命が脅かされる... これは現代文明の病理とも言えると思うのですが、中でも原爆と原発の問題は現代の問題の核心であり、不条理に充ちた現代文明の矛盾の象徴であると思います。

思えば私たちは、広島長崎への原爆投下による被爆国であり、福島第一原発事故によって被曝大国となってしまったとも言えます。

日本国憲法には、311以降の棄民政策やTPPによって齎されるであろう企業利益優先・生命軽視による人権侵害とも言えるこれらのことを禁じ、戦争が齎す悲惨を二度と繰返さない との強い思いが込められていると思うのですが、結局のところ、現政権のように国家権力が戦争を志向すれば、憲法を否定しなければならなくなるし、戦争もまた一部の人たちの利益のためであって、今私たちが立会っている深刻なこれらの問題は底辺で全部繋がっているのですね。

 さらに練習を積まれ深みを増した南部合唱団の皆さんによる〈原爆を許すまじ〉(作詞/浅田石二 作曲/木下航二 編曲/高橋喜治)に胸打たれ、そして、プログラム最後の曲〈樹があるかぎり〉(作詞/小森香子 作曲/小島啓介 編曲/赤堀文雄)を聴き終り、曲の温かい優しい余韻に包まれながら私はこう思いました。私にとって(おそらく合唱団の皆さんにも)、こうした音楽による心繋がる体験が権力の横暴などに奪われてしまうなんて... それほど悲しいことはない、憲法否定の現政権を断じて許せない と。

蛇足ながら、打上の際、私は一冊の本を所持されることを皆さんにお勧め申し上げました。
『日本国憲法』です。
これは国家権力の暴走・横暴に対して抗うための盾にもなれば槍にもなるからで、すべての国民は大いに活用すべきだと思います。
まだ間に合います!

最後に、人間の歌声が、音楽が、永遠に続くことを信じて... この随想を終えたいと思います。

  「どうか いつまでも」

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2013年11月12日 (火)

秋の随想 その1(追記あり)

メインのホームページが震災のあった年2011年の11月でストップしていましたが、漸く復活しました。と言ってもまだまだ未完成です。

風の足跡などは旧ページと新に作り直してるページとが併存した状態ですが徐々に新たな方へと直して行きます。

楽譜や試聴ページがあった.macの音楽工房Amakaneのページは、昨年6月一杯でのMobilMeの終了と同時に消滅してしまいましたが、バックアップはちゃんととってあり、装いを変えて新に作り直しています。が、今度は音楽工房Amakaneのページではなく、高橋喜治のホームページ内に作ります。

そんな訳で、まだ暫くお見苦しい点あるかと思いますが、どうかご容赦ください。

世界中に異常な空気が流れていて秋の情緒に浸っている余裕もなかなかなく落着かない日々が続いていますが、ここで少し振返ってみようと思います、時の過去るのを惜しむかのように...。


♪2013年11月3日(日) 大倉山記念館第四集会室
 アンサンブル大倉山 in 大倉山 秋の芸術祭2013
  アカペラコーラスによる歌の集い

アンサンブル大倉山の皆さんとは、嘗て委嘱を受けて組曲を書かせて頂いていた飛永悠佑輝さん指揮する女声合唱団Asukaの皆さんが2006年の11月にかなっくホールで寮美千子さんの詩による〈雨月夜〉と〈月への翼〉を初演くださった時の伴奏ピアニストがいつもの飛永さんの奥さん 美保子さんではなくアンサンブル大倉山のリーダー成光勝さんの奥さん 直子さんだったのでしたが、その折にご主人がアカペラのコーラスを為さっているというお話を伺い、それなら曲を提供いたしましょう ということで、それ以来のご縁なのですが、今回は、飯島星(実姉)と実家の母と義姉を誘って大倉山公園を散策しながら会場へと向いました

   (写真右の歩道の先に会場がある) Okurayamapark_2

大倉山記念館にはピアノが常設されている礼拝堂のようなホールもあるのですが、アンサンブル大倉山の皆さんの会場は第四集会室という、黒板のある小振の学校の教室のような部屋でした。ところが、これが流石に古代ギリシャ以前のプレヘレニック様式と東洋の様式とを融合させた古典主義建築の第一人者 長野宇平治(1867-1937)の設計による建築の為か、天井も高く、コーラスにとってはとても響きが良い。特に人の声の響きの波動は直に聴手の心に届き魂を共振させるようです。公式ページの施設概要ご参照ください。)

Okurayamakinenkan当日プログラム・ノートによると、アンサンブルの皆さんはこれまで外国の作品を手掛けることが多かった所為か、メンバーに「日本語禁断症状」が現れてしまわれたそうで、そのため今回は邦人作品に拘ったプログラミングになったということでした。

まず最初に坂本龍一さんの“CANTUS OMNIBUS UNUS”。
ラテン語のタイトルの意味は「歌は人々を結ぶ」で、歌詞もこの言葉のみの反復で成立っていたようです。言葉は旋律に乗って優しい呪文のように繰返され、美しいハーモニーがその言葉の意味通りに聴手の心をも結びつけ会場を神聖で平和に充ちた幸せな空気に変えてしまいました。
冒頭にこの曲をもって来たのはなかなか心憎いプログラミングだと思いました。

2番目は三善晃先生の子供の詩に曲を付けられた《小さな目》より “せんせい” “かめ” “先生のネックレス” “ひろちゃん” “みそしる” “やけど” “ピアノ” の7曲。
三善先生の合唱曲はひばり児童合唱団による《オデコのこいつ》をはじめとして子供の時から驚きをもって聴いていましたが、ここでもまた歌われている内容のその場の情景がありありと浮かび、楽しく、またちょっぴり切なくなるような、なんともいえない心地になりました。
こうした作品のみならず、実に多様な作品を書かれた大作曲家でした。
…先月お亡くなりになられたことがまだ信じられないでいます。

3番目はプーランクの《悔悟の時のための四つのモテット》より第四曲を欠いた3曲。第四曲はこの日のメンバーの人数によるためだということでした。それにしても難曲で、よくチャレンジされたものだと感心しましたが、これを聞くのは今回で2回目でした。

以下に、成光さんのプログラムノートからちょっと引用させ戴きます。

 1曲目は、罪ある人間が救いから見放され闇の中に放置されてしまった時に、神を頼みとしてひたすら祈り、神は逃れ場であり、助けであり、もし神の名を呼び続けていれば、心乱れることはない、という神への信頼を語っています。
 2曲目はキリストが人類を救うためにこの世に来たにもかかわらず、人々はキリストを十字架につけた。キリストは人類のために垣根を作り、石を取り除き、守りの塔を建てたにもかかわらず、人々はキリストを十字架につけた。この文章は、キリストの大いなる苦悩であり、悲しみであるでしょう。そして、人類はそのような悲しみを、人類を救ってくださった人に対して与えてしまったことに対する、大きな、まさに「悔悟」があるように思います。
 3曲目はキリストの最後の場面です。「私の神よ、私の神よ、どうして私を見捨てられたのか」と。そして、「父よ、私の魂を御手にゆだねます」が最後の言葉です。この死があって、そこに人類の救済が成就するわけです。聖金曜日のクライマックスとなるこのレスポンソリウムがあり、ミサでも福音書の受難のテキストが読まれ、キリストの死が完全なる「闇」となって象徴化されます。しかし、それだけでなく、その次に来る「復活」こそが、キリスト教の根幹をなす理念なのです。

引用、以上。

プーランクと言えば生粋のパリジャンで、洒落っ気と奔放さのイメージがあるかと思えば、こうした敬虔なクリスチャンとしての側面も強い(特に晩年は...)作曲家なのです。
20131103okurayama

4番目は信長貴富さんの 《季節が僕を連れ去ったあとに》で、同名の寺山修司の短歌集の中の十首を8曲に纏めた小曲集。
短い言葉に付けられた音の構成・その彩が本当に面白く、私にはそれが言葉を超えているように思えました。まだ何度も聴いてみないと何とも言難いですが、ひょっとしたら別の言葉であったとしても素晴らしく聴けるのではないかとも...ちょっと思いました。
信長貴富さんと言えばとても著名な方なのですが、実は昔から、お名前を見るにつけどちらが姓でどちらが名なのかと一瞬考え込んでしまう私なのでした。すみません...

さてプログラム最後は私の三つの作品でしたが、曲の説明は別の機会に譲ります(今ホームページで作品リストを作り始めていますので、完成しましたらそちらをご参照くだされば幸です※後註)。〈YAISAMANENA〉の作詞者である姉の飯島星はこの日のすべてに感動してたようです。
〈花の子供〉は、作家で詩人の寮美千子さんに詞を付けて頂いた歌曲をアカペラ用に作りかえたものでしたが、きっと寮さんがこの場にいらっしゃったら、やはり涙を流して感動されたことでしょう。


いつもプログラムが素晴らしく、なかなか得難い内容に果敢に(?)或いは楽しくチャレンジされてるアカペラ・コーラス アンサンブル大倉山では、メンバーを募集されています! 本拠とされてる会場もとても素敵な場所です!
ご興味ある方は、是非、既載記事:♪アカペラ・コーラス アンサンブル大倉山 in 大倉山秋の芸術祭2013のチラシ内の成光さんのお問合せ先に、ご連絡とられてください。

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この「秋の随想」は時を遡るようにほんのもう少しだけ続けます。

つづく

【追記】※後註:取合えず〈YAISAMANENA〉の作曲の経緯などについてはこちらの既掲載記事をご参照下さい。〈花の子供〉についてはこちらを...。

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2013年5月29日 (水)

「嗚呼、おまえに会えてなんて嬉しいのだろう、庭よ!」〜《子どもと魔法》【限定公開MP3TUBE追加】

既掲載記事1, 2に引続き《子どもと魔法》の内容をもう少しご紹介したいと思います。ここに掲げることのできるのは要するに「台本」なのですが、これは私が子供の時のデュランのボーカル・スコアへの鉛筆による「書込み」に基づくものなのです(1 参照)

樹、花、ひどく小さい緑色の池、木蔦の巻きついた太い樹がそこにある。昆虫、雨蛙、蟇蛙の音楽、梟の笑い声、そよ風と夜鶯の囁きが聴こえる。

子ども:あー、おまえに会えて何て嬉しいのだろう、庭よ!
(悲痛に)ああー!
子ども:どうしたんだい?
樹:私の傷だ! 私の傷だ!
子ども:何の傷だい?
樹:昨日おまえがナイフでつけた傷だ
  あー! まだ血が出ている
他のたくさんの樹々(唸り、揺れながら)私たちの傷だ! 私たちの傷だ!
  まだ新しい、そしてまだ血が出ている
  おー、いたずらっ子め!

子どもは気の毒になって大きな木の皮に頬ずりする。一匹の蜻蛉が羽音をたてて通りすぎて見えなくなる。そして飛びもどり、また通り過ぎる。他の蜻蛉がそれに続く。一匹の夾竹桃色の雀蛾も同じように飛んでくる。他の雀蛾たちも他の蜻蛉たちも....。
蜻蛉は飛びながら歌う。


蜻蛉:おまえはどこだ?
   わたしはおまえを探している...
   捕虫網が...
   彼がおまえを捕えたんだ...
   おー、おまえよ!
   細長くか弱い親しいおまえよ!
   おまえのトルコ玉、トパーズ
   おまえを愛する空はわたしほど悲しみはしない...

   ただひとりで、ただひとりで、
   わたしは悩む...
   わたしはおまえを探す...
   あいつを返してくれ!
   彼女はどこだ?
   わたしの仲間を、
   彼女を返してくれ!
   返せ! 返せ!
   わたしの恋人を返せ!

子ども:それはできない! それはできない!
蜻蛉(しつっこく)彼女はどこだ?
子ども:それはできない...
  (横を向いて)ぼくがつかまえた蜻蛉は針に刺して壁に留めてある... ああ!(こわがって)

蝙蝠のロンド(空から別の声)
蝙蝠:
彼女を返せ! Tsk, tsk... 返してくれ! Tsk...
   わたしの恋人... 蝙蝠よ...
   おまえは知っているだろう?
子ども(頭を垂れて):知ってる!
蝙蝠(飛びながら)大きな棒が... Tsk, tsk... 彼女を追っかけた...
          昨日の夕方... Tsk...
          おまえが勝った... そして小さい彼女は死んだ...
          おまえの足もとで...
子ども:ゆるして!
蝙蝠:巣いっぱいに... 小さい小虫... 母親を亡くした。
   その子たちを養ってやらなくちゃならない...
子ども:おかあさんがいないんだ...
蝙蝠:だからおれたちは Tsk, tsk... おれたちは飛んでいくんだ... 餌を探すんだ... はぐるぐる飛び廻るんだ! おれたちは飛んでいる餌をパクリとくわえ採るんだ。それはみんなおまえが悪いからだ!

下では小さい雨蛙が小さい池のふちに両手をかけてはい上る。もう一匹も同じように...そして続いてもう一匹もと。そして、池のふちは押し合いながらケロケロ鳴く雨蛙たちで囲まれる。

彼らはふちから離れ、雨蛙流に戯れ始める。

……雨蛙のダンス……

彼らのうちの一匹が子栗鼠に手をかける。


栗鼠(無愛想に、蛙に)逃げろよ、バカ! 籠は? 籠は?
雨蛙:ケケケケセクサ?
栗鼠(低い二本の枝の股で栗鼠流に咳をしながら)牢屋だ。ええと、ええと...   牢屋だ。 二つの格子の間にわたしたちを刺す鉄棒がある。
   ええと、ええと...
   ぼくは逃げることができた。でもおまえの湿った四本の手足のようにはいかない。
雨蛙:おまえはななななんと言うのだ?
   わたしは「籠」なんてもんは知らんよ。
   でも人間が投げてくれる蠅なら知ってるよ。ピョコン!(飛び上がる)
それから赤い紙屑なら、ピョコン!
   餌がやってくる、わたしは飛びかかる、人間がわたしをつかまえる、わたしは逃げる、わたしはまたやって来る、ピョコン!
栗鼠:脳味噌なしめ! 呪ってやりたいな!
子ども(栗鼠に)あの籠はきみの素早い運動や四つの小さな手足や美しい目をよく見るためだったんだ...
栗鼠(皮肉に)まったくだ! それはおれの美しい目のためだ!

彼が話している間に庭は栗鼠がだんだんと増えてくる。樹の上での彼らの愛撫は地上の雨蛙の戯れや愛撫を妨げない。

栗鼠:
おれのその美しい目に何が映ったかおまえは知ってるかい?

一対の夾竹桃色の雀蛾も彼らと同様に戯れる。他の群れもくっつき合ったり離れたりする。

栗鼠:自由な空、自由な風、鳥のようにちゃんと翔べるおれの自由な兄弟だ...
 だが、本当に映ったものを見てみろ! おれの美しい目には...
   涙がいっぱいだったんだ!

庭は虫の翅音が響き、栗鼠たちの目がキラキラして、動物たちの愛情と歓びとの楽園となる。

子ども:彼らは愛し合っている。彼らは幸福なんだ。彼らはぼくのことなんか忘れてしまった。

白い牝猫と黒い牡猫が壁の天辺に現れる。牝猫は愛情を以て牡猫の耳を嘗めて弄ぶ。彼らは追いかけ合って一匹ずつ壁の狭い天辺を歩いて遠ざかる。

子ども:彼らは愛し合っている。ぼくのことなんか忘れちゃった。
    ぼく、ひとりぼっちだ...
    (彼は我知らずに叫ぶ)ママ!


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2013年5月19日 (日)

「羊飼いさんたち、さようなら」〜《子どもと魔法》【限定公開MP3TUBE追加】

「もっと知りたい」という声に応えて、全部は無理ですが、もう少し《子どもと魔法》の一部をご紹介しようと思います。

前回はお姫様のシーンでしたが、今回はそれに続くその前の部分、子どもによって引裂かれた壁掛に描かれていた羊飼いたち、壁紙が引裂かれたことによって離れ離れになってしまった羊飼いたちの歎きの歌のシーンです。ここもまた切なく、悲哀を帯びたコーラスとソロによって、タンブーラン(台本ではタンブーランと書かれていますが、実際使用の楽器はd1音に調律された小ティンパニ)のリズム・オスティナートに乗って牧歌的調べが歌われます。先日びわ湖ホールでのこのシーンの演出は特によく、心に焼付いています。

以下、音楽まるごとを想起しつつ引用します。

小さな笑い声が子供の小声に答える。子供は何だろうと見回すと壁掛の引っかかれた断片がもち上がっているのが目に入った。壁紙に色で描かれた小さな人間の行列がその下から行進して来る。これは少しばかりおかしな、しかしいじらしい行列だ。その中には 女の羊飼い、男の羊飼い、羊犬、山羊たちがいる。葦笛とタンブーランとが行進の伴奏をしている

男の羊飼いたち:さようなら、女羊飼いさんたち!
女の羊飼いたち:羊飼いさんたち、さようなら!
男の羊飼いたち:薄紫色の草の葉の上で緑色の羊に餌をやるのはもうおしまいだよ。
女の羊飼いたち:薄紫色の草の葉の上で緑色の羊に餌をやるのはもうおしまいね。
男の羊飼いたち:鶏頭色の山羊にはもううんざりしたよ。
女の羊飼いたち:やわらかい鶏頭色の子羊にはもううんざりしたわ。
男の羊飼いたち:赤がかった菫色の桜ん坊にはもううんざりしたよ。
女の羊飼いたちと男の羊飼いたち:青い犬にはもううんざり。
男の羊飼いたち:助けを求めるのはね、女羊飼いさんたち
女の羊飼いたち:しなをしての作り笑いはね、羊飼いさんたち
男の羊飼いたち:ぼくたちの愛は永久のようだね。
女の羊飼いたち:わたしたちの葦笛は永久のようだわね。

小さい人々のバレエ、それは踊りながら二度と一緒になれない悲しみを表す。

羊飼いの少年:
いたずらっ子はぼくたちの優しい生活を引裂いてしまった。
       羊飼いをこっちに、女羊飼いをあっちにと。
       いたずら小僧が最初に微笑みを浮かべたのはぼくたちのおかげなのに。
羊飼いの少女:羊飼いをこっちに
羊飼いの少年:羊飼いをこっちに
羊飼いの少女:女羊飼いをあっちに
羊飼いの少年:女羊飼いをあっちに
羊飼いの少女と少年:いたずらっ子が最初に微笑みを浮かべたのはわたしたち(ぼくたち)のおかげなのに。
羊飼いの少女:わたしたちの青い犬に番をさせて眠った恩知らずの子!
       わたしたちの鶏頭色の山羊なんかもう沢山だわ!
羊飼いの少年:ぼくたちの薔薇色や緑色の小羊はもう沢山だ!
男の羊飼いたち:さようなら、女羊飼いさんたち!
女の羊飼いたち:羊飼いさんたち、さようなら!

彼らは出発する。そして彼らと共に風笛とタンブーランの音楽も去って行く。子供はくずれるように地面の上にごろんとのび、折り曲げた肘の上に顔をのせている。彼は泣いている。



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2013年5月 1日 (水)

「貴女は薔薇の心」〜《子どもと魔法》【限定公開MP3TUBE追加】

前の記事での引用から触発されて、コレットの《子どもと魔法》の中の次の詩もご紹介したくなりました...(「子ども」が歌うこの場面の音楽まるごとを想いつつ引用...)

Toi, le cœur de la rose,
Toi, le parfum du lys blanc,
Toi, tes mains et ta couronne,
Tes yeux bleus et tes joyaux...
Tu ne m'as laissé, comme un rayon de lune,
Qu'un cheveu d'or sur mon épaule,
Un cheveu d'or... et les débris d'un rêve...

貴女は薔薇の心
貴女は白百合の香
貴女のその手と冠、
青い瞳と宝石...
貴女は僕の肩の上に 月の光のような
一条の金色の髪を残しただけで去ってしまった
の金色の髪を..... そして夢の名残を.....


「子ども」はオリジナルでは6才くらいの坊やの設定なのですが、それにしてもませた坊やですね。
それでもこの部分はこのオペラの中でも最も切なく美しい場面です。
私は子供の時に買ったこのオペラのボーカル・スコアに、当時擦切れるほど聴いていたレコードに付録していた台本の訳の全てを五線譜に沿って書込んでいました。そこからこの場面全体をご紹介したいと思います。
今回上演のオペラの字幕は実に素晴らしく簡潔に書かれていました(それによって物語は
容易に時空を超えて身近なこととして私たちへと伝えられるようになっていました)が、こちらの引用は参考までに...です。

物語は、宿題をさぼった子どもがお母さんに叱られた腹いせに、ティーポットと中国製茶碗を掌で弾き飛ばして粉々にし、籠の中の栗鼠をペン先で刺し、猫の尻尾を引っ張り、火掻棒で暖炉の火を引掻回し、湯沸かしを足で引繰り返し、火掻棒を剣にして壁掛けに描かれた羊飼いたちを攻撃し壁紙を引破り、大時計の振子にぶら下がってその振子を取ってしまった挙句、
机の上のノートや本を片っ端から粉々に引裂いてしまうのですが、その後物語は、子どもに破壊され傷つけられたものたちが次々と登場して歎きの歌を歌うのです。(結末は割愛)
その中の、子どもに破られた童話の本の中のお姫様が現れて歌う場面。

以下、音楽まるごとを想起しつつ引用。失礼ながら訳者のお名前が現在判らなくなってしまっていますが、判り次第追記させて頂きます。

(管理人註:「子ども」)は本から引裂かれた紙の上に寝ていた。そして彼が横になっていた紙の山がタイルのようにもち上がって…
…はじめはだらりとした腕、金髪、そして今し
がた目を覚ましたといわんばかりの宝石を飾った腕を延ばしている妖精物語の素晴らしいお姫様の姿がそこに現れた。


子ども
(驚嘆して)ああ、彼女だ! 彼女だ!
お姫様:そうです
 お姫様です。あなたの魅惑のお姫様です
    昨夜あなたが夢の中で呼びかけたお姫様です。
    
昨夜始まったその物語が長いことあなたを眠らせなかったお姫様です
    あなたはひとりで歌いました。
   「彼女は金髪でお日様の色を
した瞳を持っている」と。
    あなたはわたしを薔薇の芯の中に、白い百合の中に探し求めました。
    あなたは子どもらしい
心でわたしを探し求めました。
    そしてきのうからわたしはあなたの初恋の人でした。
子ども:ああ、彼女だ
! 彼女だ
お姫様:それなのにあなたは本を引裂きました。わたしはどうなるのでしょう?
    悪い
ことをする魔術師は
      わたしを死の眠りに追いやったり
      わたしを雲のように散らしてしまうでしょう。
    あなたは初恋の人の運命を無視することを悲しまないのですか?
子ども:ああ、行かないで、ここにいて。

      ねえ、青い鳥の鳴いていた樹はどうなったの?
お姫様
(残っている紙塵を指差して)あの枝をごらんなさい。
    あの果物をごらんなさい。ああ!
子ども
(心配して)あなたの首飾りは魔法の首飾りは?
お姫様:ごらんなさい。ちぎれたその継
輪を。ああ!
子ども:あなたの騎士は? あけぼの色の毛のついた冠をかぶった王子
さまは?
      ああ! 剣を持った王子さまに来て欲しい。
            剣が欲しい、剣が欲しい!
      ああ! 僕の腕の中に、腕の中に!
      いらっしゃい! いらっしゃい!
      あなたを守ってあげましょう!
お姫様
(悲しみに腕をじまげて)ああ! 弱虫の小さなお友達。
      あなたはわたしのために何ができますか?
      夢の長さを知っているでしょうか?
      わたしの夢はたいへん長かった。
      たぶんその夢の終りに
    あけぼの色の毛の付いた冠をかぶった王子
様になったのは
    あなただったでしょう

大地が揺れて彼女の足元で口を開く

お姫様(叫ぶ)助けて! 助けて!
      眠りと夜が、わたしを捕えようとする!
子ども:僕の剣を! 剣を! 剣を!

子どもはお姫様の金髪、着物、白い長い腕をつかまえようとする。
けれども見えない力が彼女を吸い込み、彼女は地下に消えてしまう。

子ども(ひとり残され悲嘆にくれ小声で)
    貴女は薔薇の芯です
    貴女は白百合の香りです
    貴女の手と冠
    青い瞳と宝石

    貴女はぼくの肩の上に
    お月様のような一本の金髪を
    残しただけで行ってしまった

      一本の金髪を… そして夢の名残を…

彼はかがんで残った紙屑の中から妖精物語の切れ端を見付けようとするが、何も出てこない。

 

子どもと魔法@金沢(5月3日於石川県立音楽堂)のご案内はこちら




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2013年4月30日 (火)

魂あるものたちの歎きの歌を聴け! または 一輪の薔薇へ…

一昨日びわ湖ホールでの《子どもと魔法》の本番を終えました。いろいろありましたが些細なことはよしとして、本質的なことだけを書きたいと思います。
既掲載記事で「この作品はまるで私たち現代人のために書かれた作品のようだ」と私は書きましたが、岩田達宗さんの新しい演出によってそれを一層実感できました。一昨日のオペラは、過酷な現在(いま)を生きる人たちへのメッセージになっていたと私は思いました。

何が「過酷」かって、別の「子ども」は未だ悪戯を止めないようですし、一般の人達でさえ、努力すればするほどそれに加担せざるをえないような嫌な状況は益々増してくるばかりなのですから。加担によるその結果はブーメランのように返ってくるので自殺行為に他ならないのに...。これほど辛いものもないでしょう。

一刻も早くそこから脱出することだけが救いであるかのようにも感じられますが、いったい何処へ逃げればいいのでしょうか?

もはやどこにも逃げるところなどないのです。
それでも、内部から外部への変化だけが.....

以下引用。

 この内部にふさわしい外部は
 どこにあるのか? どんな痛みの上に
 この布は当てられるのか。
 どんな空が、このなかに、
 この開いたばらの、
 この屈託のない花々の
 内海のなかに映っているのか。ごらん、
 ばらはみなほどけかかり、ほどけた
 空間にやすらう、ふるえる手が触れたなら
 花びらがこぼれてしまうのではないかとおそれつつ。
 ばらはみずからを支えることが
 できない。多くのばらはいっぱいにあふれ、
 内部空間から昼の空間へと
 あふれ出ていく。昼の空間は
 ますますみなぎりつつまとまっていく。
 そしてついに、夏全体が一つの
 部屋になる。夢の中の一つの部屋に。

           ばらの内部(~『リルケ詩集』神品芳夫 訳)

._._._._._._._._._._._._._._._._._._._._._._._._._._._._._._._._._._._._._._._._._._._._._._.
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2012年7月24日 (火)

神様に見守られた演奏会 〜Bouquet des Tons 結成20周年記念コンサート〜

Vin_pour_bouquetdestons写真は小布施の合唱団ANDANTEの皆さんからのお祝いのワイン。そのお裾分けです。(参照→Bouquet des Tons
まるで神様への祈りが通じたような本番でした。神様と全ての人へありがとう...。

当日プログラム内容など演奏会記録は後ほどこぼれおちる月に投稿します。

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