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2015年2月

2015年2月27日 (金)

《ペレアスとメリザンド》その2 - つづき(その1) -

《ペレアスとメリザンド》その2 のつづき。



《ペレアスとメリザンド》の舞台


●登場人物

  1 ペレアス:王アルケルの孫。ゴローの異父弟。
  2 メリザンド:海から森に迷い込んだ謎の女性。ゴローに拾われ後妻となる。
  3 ゴロー:アルモンド(架空の国)の崩壊途上にある王家の王子。先妻に先発たれている。その二人の子に幼いイニョルドがいる。
  4 アルケル:アルモンドの老いた盲目の国王。城主。
  5 ジュヌヴィエーヴ:ゴローとペレアスの母。
  6 イニョルド:ゴローの先発たれた先妻との間の幼い息子。
  7 侍医:終幕でメリザンドを診る医者。
  8 男の召使いたち(台詞はなく登場するだけ)
  9 女の召使いたち(台詞はなく登場するだけ)
10 三人の老貧者(台詞はなく舞台上に横たわっているだけ)
11 水夫たちの声(海から聴こえてくる声だけで登場はしない。舞台裏に配置された合唱によって表される) 
12 羊飼い
13 羊の群(むれ)
14 数羽の鳩:メリザンドが飼っていたと想われる鳩。
以下は実際には登場せず登場人物の言葉の中に現れる人物
15 馬:実際には登場せずゴローの話の中に出てくるゴローの馬。
16 ウルスラ姫:アルケルがゴローとの政略結婚を考えていたと想われる他国の王女。
17 ペレアスの病床の親友マルセリュス(ペレアスの台詞の中に出てくる)
18 ペレアスの病床の実父(アルケルの台詞の中に出てくる)


●場所

  1 城を取囲む深い森(その森の中に自然の泉がある)
  2 城の広間
  3 城の前(海が見渡せる)
  4 城の一室(寝台がある。ゴローの寝室)
  5 城の一室(メリザンドが臨終を迎える寝室。大窓を開けると海が見渡せる。もしかしたら4と同じ部屋なのかも...)
  6 城の塔(最上階にメリザンドのものと想われる寝室がある。ひょっとしたら元はジュヌヴィエーヴの部屋で、それをメリザンドに譲ったのかも...)
  7 城の地下窟(死臭漂う恐ろしげな底なしの底と岩肌の壁)
  8 城の地下窟の出口のテラス(そこから城の塔と海岸とが見える)
  9 城外の庭園(「盲人の泉」と呼ばれる深い泉がある)
10 城外の築山(大きな石があり、森が見える)
11 海辺の洞窟(「青の洞窟」っぽい)の前
この他にジュヌヴィエーヴが読上げる手紙の中に出てくる二つの場所として
12 海に面した城の塔
13 船橋

つづく

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《ペレアスとメリザンド》その2

前記事からのつづきです。

先の演奏会形式での上演の随想からは離れて作品そのものについて書いて行こうと思います。

「お聴きなさい。それで充分です」

と、ドビュッシーの言葉を引用し、このオペラに対する感動を表すには「沈黙こそが一番相応しいのではないか」と書きましたが、私は自分のオペラのために、少なくともドビュッシーのこのオペラと、ラヴェルの二作(私が室内オーケストラ版を編曲した《子供と魔法》については既に何度かこのブログに書きましたが...)と、タルコフスキー演出によるムソルグスキーの《ボリス・ゴドゥノフ》についてだけは書いておきたいと思いました。今後の人生に余裕があれば、日本の(大きな意味で私の恩師)のオペラ、それにレスピーギの《沈鐘》とプッチーニの《ラ・ボエーム》、ヴェルディの《椿姫》についても出来たら書きたいと思ってます。(※)


《ペレアスとメリザンド》その2

私が子供の時に初めてこのオペラに接した時、いったいこのオペラの何に魅かれたのか? それ以前に既にドビュッシーの他の音楽には魅了されていたので勿論それは「音楽に」とも言えるのですが、恐らくこのオペラの世界(小宇宙)丸ごとを感じ取っていてそれに素直に反応していたのでしょう。それでも今思うに取分け子供心をひきつけたのは、このオペラの、時空のトポロジカルな構造 で あったのかも知れません。
海の近くの丘に聳える古城や海岸の洞窟や城の地下窟や庭園の泉や城を取囲む深い森やその森の泉など、その地勢や城の構造や自然音や空気感、それも「城の地下窟と海岸の洞窟と泉の深い底とはきっと繋がっているに違いない」というような勝手な想像に何かわくわくするものを感じて胸をときめかしていたりしていたのでしょう。それは子供心が貝殻や衣蛸に胸をときめかせるようなものです。(馬鹿げたことと思われるかも知れませんが、実は芸術表現にとってこうした要素がいかに重要であるかということを先の演奏会形式の上演に接して以来私は再認識させられているのです。)それに空間のことのみならず時間も重要であることは言うまでもなく、前述の「時空のトポロジカルな構造」は、簡単にそれを「運命の糸」と言い換えても良いのでしょう。
このシリーズの最初
にも書きましたドビュッシーの「魅惑」、その秘密を解明す上でもこうした要素を無視することはできません。何故ならこうしたことはドビュッシーの音楽の「作り」や「オーケストレーション」を語る上でも無視できないことであるのみならず、実はこうしたことが神話的精神世界と絡んでくるところに芸術表現の奥深さがあると思えるからです。

それではこれからドビュッシー芸術の「魅惑」を紐解いて行くために まず、必要アイテムを整理しておきますね。「何それ?」と思われるかも知れませんが、それは後々の記事に役立つものとなるはずです。ページを改めて更新します。

※ 私が今書いているオペラが音楽としてこれらのオペラのような作品であるという意味ではありません。全く違う音楽になります。


つづく





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2015年2月22日 (日)

【追悼】アルド・チッコリーニ氏

【追悼】アルド・チッコリーニ氏

Images 前世紀70年代後半だったか私にとってエリック・サティピアノ曲全集のレコードで決定的な意中のピアニストとなったアルド・チッコリーニ氏が今月2月1日にパリ郊外のご自宅で永眠されたということでした。ニュース記事⇨サティ・ブームの火付け役! フランスの世界的ピアニスト、アルド・チッコリーニ氏が死去
この全集には、チッコリーニ氏が指揮棒を振っての《メデューサの罠》というサティの不条理劇が特典として丸ごと収められていて、その何とも言えない可笑しさが忘れられません。
ピアノ曲にも、そんな可笑しい作品があるかと思えば、まるでステンドグラスの様な色彩の和音の連なりから成る〈『天国の英雄的な門』への前奏曲〉に代表されるサティが謂わば座付音楽家として関わっていた「薔薇十字団」に纏る秘教めいた作品や、《スポーツと気晴し》のような日常の様々なワンシーンワンシーンにさり気なく思わず微笑みを誘うような短い言葉と洒落た動画を付けたような作品から、〈犬のためのぶよぶよした前奏曲〉といった奇妙な題名の曲(ドビュッシーの〈牧神の午後への前奏曲〉への風刺か?)や、「壁掛の音楽」とか、永遠にリピートし続ける不思議な音楽(〈ヴェクザシオン〉)まで、いろいろありましたが、そのどれもがチッコリーニ氏の手にかかると、薫高い芸術へと昇華されるのでした。 この全集の写真掲載の参考サイト⇨こちら
当のサティと言えば、晩年はシュルレアリストたちとの交流からシュールな映画にも登場し、そのエキセントリックなキャラクターを披露してくれてました。懐しい! このルネ・クレール監督の映画『幕間』についての参考サイト⇨こちら

サティのみならずドビュッシー作品の演奏も私は好きで、いつまでも思い出せば聴きたくなる本当に素晴らしい演奏の記録の数々を遺してくださいました。感謝申上げます。(ああ、懐しい、懐しい...)

 

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2015年2月16日 (月)

◎CD〈大人は…〉YouTubeにアップしました。

◎CD〈大人は…〉YouTubeにアップしました。

こちらです。


◎大人は手遅れかも知れないが子供たちに伝えなければならないことがある

作詞 山崎 康彦
作曲 高橋 喜治
絵 マッド・アマノ

演奏 アンサンブル・レトワール
 指揮 飛永 悠佑輝
 ソプラノ 鶴岡 恵
 テノール 望月 裕央
 フルート 齊藤 佐智江
 ヴァイオリン 鍋谷 里香
 チェロ 高橋 よしの
 ピアノ 飛永 美保子

制作 音楽工房Amakane
販売 Haruan shop

Cdotonawa_chirashi

このCDの総合案内のページはこちら

作詞者山崎康彦さんのページはこちらこちら
絵のマッド・アマノさんのページはこちら

平和を願って.....


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2015年2月10日 (火)

《ペレアスとメリザンド》その1 - つづき -

《ペレアスとメリザンド》その1 のつづきです。

一昨日の日曜日の夜、マエストロ・デュトワ指揮によるN響定期の《ペレアスとメリザンド》演奏会形式による上演を放送で視聴された方もいらっしゃるかと思います。
デュトワ氏によるこの作品に対する深い理解と愛情に支えられた素晴らしい記録でした。

(以下、引用)

 音楽の感動を言葉で伝えることは難しい。音楽は水に映る月。「掬っても掬っても(指の間から)こぼれおちる月」。でも、そこに愛がある時、そのとらえ難い月にそっと寄り添うように言葉を巡らせる時、言葉は不可視の領域の視えない優しい指になる。

(引用、以上)

以上は、以前書いたブログ記事からの引用です。「こぼれおちる月」の解題の一部です。
私は、先の演奏会の随想からは離れて、この音楽史上の奇蹟のような《ペレアスとメリザンド》について書きたいと思っていましたが、今私は.....

(以下、引用)

 お聴きなさい。それで充分です

(引用、以上)

.....というドビュッシーの言葉を想い出しています。
この感動に対する答えは沈黙こそが相応しいのではないか? そんな想いに駆られています。

つづく

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