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2015年2月27日 (金)

《ペレアスとメリザンド》その2

前記事からのつづきです。

先の演奏会形式での上演の随想からは離れて作品そのものについて書いて行こうと思います。

「お聴きなさい。それで充分です」

と、ドビュッシーの言葉を引用し、このオペラに対する感動を表すには「沈黙こそが一番相応しいのではないか」と書きましたが、私は自分のオペラのために、少なくともドビュッシーのこのオペラと、ラヴェルの二作(私が室内オーケストラ版を編曲した《子供と魔法》については既に何度かこのブログに書きましたが...)と、タルコフスキー演出によるムソルグスキーの《ボリス・ゴドゥノフ》についてだけは書いておきたいと思いました。今後の人生に余裕があれば、日本の(大きな意味で私の恩師)のオペラ、それにレスピーギの《沈鐘》とプッチーニの《ラ・ボエーム》、ヴェルディの《椿姫》についても出来たら書きたいと思ってます。(※)


《ペレアスとメリザンド》その2

私が子供の時に初めてこのオペラに接した時、いったいこのオペラの何に魅かれたのか? それ以前に既にドビュッシーの他の音楽には魅了されていたので勿論それは「音楽に」とも言えるのですが、恐らくこのオペラの世界(小宇宙)丸ごとを感じ取っていてそれに素直に反応していたのでしょう。それでも今思うに取分け子供心をひきつけたのは、このオペラの、時空のトポロジカルな構造 で あったのかも知れません。
海の近くの丘に聳える古城や海岸の洞窟や城の地下窟や庭園の泉や城を取囲む深い森やその森の泉など、その地勢や城の構造や自然音や空気感、それも「城の地下窟と海岸の洞窟と泉の深い底とはきっと繋がっているに違いない」というような勝手な想像に何かわくわくするものを感じて胸をときめかしていたりしていたのでしょう。それは子供心が貝殻や衣蛸に胸をときめかせるようなものです。(馬鹿げたことと思われるかも知れませんが、実は芸術表現にとってこうした要素がいかに重要であるかということを先の演奏会形式の上演に接して以来私は再認識させられているのです。)それに空間のことのみならず時間も重要であることは言うまでもなく、前述の「時空のトポロジカルな構造」は、簡単にそれを「運命の糸」と言い換えても良いのでしょう。
このシリーズの最初
にも書きましたドビュッシーの「魅惑」、その秘密を解明す上でもこうした要素を無視することはできません。何故ならこうしたことはドビュッシーの音楽の「作り」や「オーケストレーション」を語る上でも無視できないことであるのみならず、実はこうしたことが神話的精神世界と絡んでくるところに芸術表現の奥深さがあると思えるからです。

それではこれからドビュッシー芸術の「魅惑」を紐解いて行くために まず、必要アイテムを整理しておきますね。「何それ?」と思われるかも知れませんが、それは後々の記事に役立つものとなるはずです。ページを改めて更新します。

※ 私が今書いているオペラが音楽としてこれらのオペラのような作品であるという意味ではありません。全く違う音楽になります。


つづく





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