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2014年4月

2014年4月24日 (木)

We Can Change ! □合唱曲〈大人は手遅れかもしれないが子供たちに伝えなければならないことがある〉オリジナル(リンク追記)

♫私たちはできる、変えることを!

私はそう確信しています。(オバマさんではありませんが... 意味も違う...)
何を?
世界を。

私はこの〈大人は手遅れかもしれないが子供たちに伝えなければならないことがある〉を、大人も子供もプロもアマチュアも、日本全国の合唱団、世界の合唱団に歌って欲しい! という思いで、ここに発表いたします。

カナダの12歳の少女が、銀行システムの腐敗をものの見事に解明し、その対応策までをも具体的に示しました。そこで言われている「カナダ中央銀行」のことは、そのまま世界銀行のことに置換えられることでしょう。(且つ、今の極悪政権を見れば、日本銀行のことも検証が必要であることは言うまでもありません)。(参考1, 2

これは、この〈大人は手遅れかもしれないが子供たちに伝えなければならないことがある〉で歌われている「金融支配」のことです。世界の支配構造の最も大きなことのひとつです。

私たちはこの地球上の極一部の権力者に拠って様々なかたちで支配されているのです。今起こっている様々な問題は、この「支配」から解かれることで、ほぼ解決されると言っていいことなのです。

私は、この合唱曲〈大人は手遅れかもしれないが子供たちに伝えなければならないことがある〉によって、皆さんに希望を持って欲しい! と思いました。なにしろ、少なくとも私自身が、市民活動家(私は「今最も先鋭なネット国際ジャーナリスト」とも思っているのですが...)の山崎康彦さんの詩(既掲載記事に詩の全てを掲載)に作曲することで、世界を変えることはできる という希望を抱き、自信も持てたのですから。私はこの詩を現代の聖書の言葉のように感じています。聖書は多分にジャーナリスティックな側面を持っています。例えば...

以下、tombocom - こころの玉手箱 - より引用。

さて、彼らがエルサレムに近づき、オリブ山沿いのベテパゲに着いたとき、イエスはふたりの弟子(でし)をつかわして言われた、
   「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつながれていて、子ろばがそばにいるのを見るであろう。それを解いてわたしのところに引いてきなさい。
      もしだれかが、あなたがたに何か言ったなら、主がお入り用なのです、と言いなさい。そう言えば、すぐ渡してくれるであろう」。
      こうしたのは、預言者によって言われたことが、成就するためである。
    すなわち、
         「シオンの娘に告げよ、
            見よ、あなたの王がおいでになる、
            柔和なおかたで、ろばに乗って、
            くびきを負うろばの子に乗って」。
      弟子(でし)たちは出て行って、イエスがお命じになったとおりにし、
      ろばと子ろばとを引いてきた。そしてその上に自分たちの上着をかけると、イエスはそれにお乗りになった。
      群衆のうち多くの者は自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの者たちは木の枝を切ってきて道に敷いた。
      そして群衆は、前に行く者も、あとに従う者も、共に叫びつづけた、
           「ダビデの子に、ホサナ。
            主の御名(みな)によってきたる者に、祝福あれ。
            いと高き所に、ホサナ」。
        イエスがエルサレムにはいって行かれたとき、町中がこぞって騒ぎ立ち、「これは、いったい、どなただろう」と言った。
        そこで群衆は、「この人はガリラヤのナザレから出た預言者イエスである」と言った。
        それから、イエスは宮にはいられた。そして、宮の庭で売り買いしていた人々をみな追い出し、また両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえされた。
        そして彼らに言われた、「『わたしの家は、祈の家ととなえらるべきである』と書いてある。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」。
        そのとき宮の庭で、盲人や足なえがみもとにきたので、彼らをおいやしになった。
        しかし、祭司長、律法学者たちは、イエスがなされた不思議なわざを見、また宮の庭で「ダビデの子に、ホサナ」と叫んでいる子供たちを見て立腹し、
        イエスに言った、「あの子たちが何を言っているのか、お聞きですか」。イエスは彼らに言われた、「そうだ、聞いている。あなたがたは『幼な子、乳のみ子たちの口にさんびを備えられた』とあるのを読んだことがないのか」。
        それから、イエスは彼らをあとに残し、都を出てベタニヤに行き、そこで夜を過ごされた。
        朝はやく都に帰るとき、イエスは空腹をおぼえられた。
        そして、道のかたわらに一本のいちじくの木があるのを見て、そこに行かれたが、ただ葉のほかは何も見当らなかった。そこでその木にむかって、「今から後いつまでも、おまえには実がならないように」と言われた。すると、いちじくの木はたちまち枯れた。
        弟子(でし)たちはこれを見て、驚いて言った、「いちじくがどうして、こうすぐに枯れたのでしょう」。
        イエスは答えて言われた、「よく聞いておくがよい。もしあなたがたが信じて疑わないならば、このいちじくにあったようなことが、できるばかりでなく、この山にむかって、動き出して海の中にはいれと言っても、そのとおりになるであろう。
        また、祈のとき、信じて求めるものは、みな与えられるであろう」。
        イエスが宮にはいられたとき、祭司長たちや民の長老たちが、その教えておられる所にきて言った、「何の権威によって、これらの事をするのですか。だれが、そうする権威を授けたのですか」。
        そこでイエスは彼らに言われた、「わたしも一つだけ尋ねよう。あなたがたがそれに答えてくれたなら、わたしも、何の権威によってこれらの事をするのか、あなたがたに言おう。
        ヨハネのバプテスマはどこからきたのであったか。天からであったか、人からであったか」。すると、彼らは互に論じて言った、「もし天からだと言えば、では、なぜ彼を信じなかったのか、とイエスは言うだろう。
        しかし、もし人からだと言えば、群衆が恐ろしい。人々がみなヨハネを預言者と思っているのだから」。
        そこで彼らは、「わたしたちにはわかりません」と答えた。すると、イエスが言われた、「わたしも何の権威によってこれらの事をするのか、あなたがたに言うまい。
        あなたがたはどう思うか。ある人にふたりの子があったが、兄のところに行って言った、『子よ、きょう、ぶどう園へ行って働いてくれ』。
        すると彼は『おとうさん、参ります』と答えたが、行かなかった。
        また弟のところにきて同じように言った。彼は『いやです』と答えたが、あとから心を変えて、出かけた。
        このふたりのうち、どちらが父の望みどおりにしたのか」。彼らは言った、「あとの者です」。イエスは言われた、「よく聞きなさい。取税人や遊女は、あなたがたより先に神の国にはいる。
        というのは、ヨハネがあなたがたのところにきて、義の道を説いたのに、あなたがたは彼を信じなかった。ところが、取税人や遊女は彼を信じた。あなたがたはそれを見たのに、あとになっても、心をいれ変えて彼を信じようとしなかった。
        もう一つの譬(たとえ)を聞きなさい。ある所に、ひとりの家の主人がいたが、ぶどう園を造り、かきをめぐらし、その中に酒ぶねの穴を掘り、やぐらを立て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。
        収穫の季節がきたので、その分け前を受け取ろうとして、僕(しもべ)たちを農夫のところへ送った。
        すると、農夫たちは、その僕たちをつかまえて、ひとりを袋だたきにし、ひとりを殺し、もうひとりを石で打ち殺した。
        また別に、前よりも多くの僕たちを送ったが、彼らをも同じようにあしらった。
        しかし、最後に、わたしの子は敬ってくれるだろうと思って、主人はその子を彼らの所につかわした。
        すると農夫たちは、その子を見て互に言った、『あれはあと取りだ。さあ、これを殺して、その財産を手に入れよう』。
        そして彼をつかまえて、ぶどう園の外に引き出して殺した。
        このぶどう園の主人が帰ってきたら、この農夫たちをどうするだろうか」。
        彼らはイエスに言った、「悪人どもを、皆殺しにして、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに、そのぶどう園を貸し与えるでしょう」。
        イエスは彼らに言われた、「あなたがたは、聖書でまだ読んだことがないのか、
           『家造りらの捨てた石が
             隅(すみ)のかしら石になった。
            これは主がなされたことで、
            わたしたちの目には不思議に見える』。
        それだから、あなたがたに言うが、神の国はあなたがたから取り上げられて、御国(みくに)にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう。
        またその石の上に落ちる者は打ち砕かれ、それがだれかの上に落ちかかるなら、その人はこなみじんにされるであろう」。
        祭司長たちやパリサイ人(びと)たちがこの譬(たとえ)を聞いたとき、自分たちのことをさして言っておられることを悟ったので、
        イエスを捕えようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者だと思っていたからである。

引用、以上。

ここで言われている「パリサイ人」の末裔とはいったいどんな人でしょう? 
最近上映されたアレクサンドル・ソクーロフ監督の映画『ファウスト』に出てくる醜悪な高利貸のような人でしょうか(或いは現代の「・・子ども」...)。

山崎さんは権力を批判されるだけではなく、今私たちに降りかかっている問題に対する具体的な対応策をも提言されていて、私はそれにも共感しているのです。例を挙げると「憲法裁判所の創設」とか金融の「信用創造特権の廃止」とか憲法への「抵抗権の付加」とかその他いろいろ...。詳しくは山崎さんのYYNewsを是非ご覧下さい。


♫革命はワルツを踊るように...

さて、〈大人は手遅れかもしれないが子供たちに伝えなければならないことがある〉の曲のことをちょっとだけ書きます。この曲はワルツで始まります。(全曲ワルツで押し通しているわけではなく、途中全く曲想が変わるところもあります)
「ワルツ」(ウィンナーワルツ)と言えば「ハプスブルグ家の栄華」を連想されるかもしれません。ルーツは民俗音楽だったようですが、貴族社会の中で一世を風靡した舞踊音楽で、その立役者はヨハン・シュトラウスでした。そしてそれは今も廃れることはありません。

フランスの大作曲家モリス・ラヴェルは、1919年から翌年にかけて、バレエ・リュス主宰のディアギレフからの依頼でオーケストラ編成による舞踊詩『ラ・ヴァルス』を作曲しました。どうもバレエのための音楽としてはディアギレフからは拒絶されてしまい、それを機に二人は不仲になってしまったということですが、この作品に寄せてラヴェルが語ったことを、弟子であったマニュエル・ロザンタールは次のように伝えています。

以下、引用。

ラヴェルは自らの一番お気に入りの子供については、自分のほうからよく話してくれたーー《ラ・ヴァルス》だ。彼によれば、ワルツのリズムこそ人間性と密接にかかわるものだという。「なぜなら、これは悪魔のダンスだからだ。とくに悪魔は、創造者の潜在意識につきまとう。創造者は、否定の精神とは対極の存在だからね。創造者の中でも音楽家の地位が一番高いのは、ダンスの音楽を作曲できるからだ。悪魔の役割とはわれわれに芸当をさせる、つまり人間的なダンスをさせることなのだが、人間のほうも悪魔にお返しをしなければならない。悪魔とともにできる最高の芸当は、悪魔が抵抗できないようなダンスを踊ることだよ。」
 〜マニュエル・ロザンタール著 マルセル・マルナ編 伊藤制子訳『ラヴェル ーその素顔と音楽論』(春秋社刊)よりラヴェルが自作の《ラ・ヴァルス》について語った言葉から

引用、以上。

ワルツを礼賛した作品であるとラヴェルは言ってますが、今の私たちにはまるで来る第二次世界大戦の狂気を予感した作品に感じられます。それに、ラヴェルは「解っていた」...。

私のこの〈大人は…〉を決してラヴェルの〈ラ・ヴァルス〉と同列に比較することはできませんが、私は、室内アンサンブルのBouquet des Tonsの委嘱により《ラヴェルの墓》という作品を書いていまして(第二楽章まで完成され発表されるも予定の全五楽章全曲は未だ未完成)、それが何故「ラヴェルの...」かと言えば、子供の時に好きだった作曲家と言うに留まらず、彼が被った戦争体験と、私の親の世代が被った戦争体験と、そして今、私たちが被るやも知れない新たな戦争(或いは侵略)とが、「その根が同じである」ということなのです。(私は伝え聞く彼の死因にも少なからず疑問を抱いています。古くはモーツァルト、現代でのジョン・レノン、マイケル・ジャクソンたちに通じる何かを感じています... ラヴェルより少し後のバルトークももしかしてそうだったのかも...)

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□楽譜
〈大人は手遅れかもしれないが子供たちに伝えなければならないことがある〉
 作詞 山崎康彦
 作曲 高橋喜治
 編成 混声合唱とピアノ
 演奏所要時間 約12分半

前にもお伝えしましたが、この作品はこれに留まらず、他に五つの異なる編成のためのヴァージョンを書き、そして今も新たに別のヴァージョンを書き進めてもいます。以前の記事の訂正ですが、「一挙公開」ではなく、このブログ「風の耳」でまず順に申込受付して行き、その後総合的な特設ページを作りたいと思っています。
当面はこの曲のオリジナルとこれに続く全てのヴァージョンは原則無料配布いたします。(しかし、正直申上げて私は今経済的に困窮しています。同時にカンパも募っています。もしよろしければどうぞお願い申上げます。詳細は楽譜の表紙裏をご参照下さい。)追記:無料配布は終了しました

それでは第一弾として

〈大人は手遅れかもしれないが子供たちに伝えなければならないことがある〉
 00_オリジナル 編成:混声合唱とピアノ
  PDF A4判(全44頁) 当面は無料 追記:無料配布は終了しました
  註:合唱は最低8名から可能ですが、どちらかと言うと16人以上24,32,48,64....と大編成向です。

冒頭から2ページ目までのサンプル画像

Otonawaorigp1
Otonawaorigp2  



















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お申込方法

1 まずメールでamakane@mac.com(高橋喜治)宛にお申込下さい。
  以下書式
  件名 〈大人は…〉楽譜希望
  本文 01 題名:〈大人は…〉オリジナル 必須
     02 団体名と責任者氏名または個人名(ふりがな) 必須
     03 Eメールアドレス 必須
     04 電話番号 必須
    
 05 住所(プリントアウトしたものの郵送をご希望の場合必須) 
     05 性別
     06 年齢
     07 職業 なるべく必須
     08 入手目的 必須
        具体的にご記入下さい。
         例
        
 1) 是非演奏したい
          2)演奏を検討したい
          3)どんな作品か知りたい
           etc.
         (目的内容によってはお断りする場合もあります) 
      09 メッセージ
    (プリントアウトしたものの郵送ご希望の場合はメッセージ欄に郵送希望とお書き添えください)

2 1)返信メールにPDF添付送信いたします。
   2)郵送希望の方へは返信メールにて指定口座をお知らせします。その口座への送料500円のお振り込みを確認次第印刷・発送いたします。製本はいたしません。A4判のバラの原稿です。

返信メールにも書きますが、演奏してくださる時にはご一報ください。
山崎さんのYYNewsまたは市民ネットワークの取材・放送もあるそうです。

私たちはできる、世界を変えることを!

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□〈大人は手遅れかもしれないが子供たちに伝えなければならないことがある〉オリジナル [混声合唱とピアノ]
ダウンロードページはこちら



以下追記

本ブログ風の耳での〈大人は手遅れかも知れないが子供たちに伝えなければならないことがある〉全関連記事⇒こちらです。

ソプラノとテノールによるデュエット室内楽ヴァージョン(version 6)によるCDの試聴は⇒こちらです。

CDと楽譜のお求めは、Haruan shop で、よろしくお願いいたします。


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