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2014年3月28日 (金)

♪諏訪内昌子さんのピアノリサイタル 明後日(30日)八戸で

★《月巡りの歌》より“3月”(…海の雪)、“4月”(…美しき御寺に風は時折海の予感を運び)

昨年の夏にPDF版の楽譜をお求めくださって暫くしたらご自身のリサイタルで取上げてくださる旨ご連絡戴きましたピアニストの諏訪内昌子さんの演奏会のご案内をこぼれおちる月に掲載しております。→こぼれおちる月

戴きましたメールに拠りますと「語り付の演奏会」だそうで、チラシにも「すべてを引き出す音の魔術師モーツァルト/完璧音それは言葉」と私など畏れ多くなるようなフレーズがあります。20140330chirashi
また作品についての何か「詩的な」文章はないか?との諏訪内さんからの求めに応じて昔の演奏会の時のプログラム・ノートから私の書いた文章をお教え差上げたのでしたが、そのようなことを契機に、今回取上げてくださいます二つの小品について「言葉」を軸に少し書いておこうと思いました。

●「伝達可能な音楽」または音楽における「表意性」

以前の記事(1, 2)で少し触れましたが、畏れながら、メシアンの言う「伝達可能な音楽」を私なりに考えている と書きました。実は今回取上げてくださいます“3月”(…海の雪)も、端的にそれを指向した作品なのです。

どういうことかと言いますと、音楽で何らかの「意味」を表す、つまり「表意性」に拘った作曲である ということなのですが、それは「客観的真理」に基づいてなされているのです。「音楽で客観的真理などあり得ない」というご意見もあるかと思われますので、私の言う「客観的真理」とは何かということを説明しておきます。

例えば、雪の一片一片を厳密に観るならば、そのひとつひとつはどれひとつとして同じものはないにも関わらず、私たちは降注ぐ雪を見てそれを他のものと見紛うことはほとんどありません。十人いたら十人ともがそれは雪であると言える...ということを「客観的真理」とします。

別の例で言えば、私たちの憲法というものはきちんと成文化されており、目の前に確実に存在しており、法治国家であり立憲民主主義国家なのです。ですから憲法に違反する者を見る人が十人いたら十人ともが、その者は「悪い人である」 と言えるのです(不思議なことにこの国ではそんな憲法違反者が放ったらかし状態なのです。本来それを取締らなければならない司法も警察も異次元世界に迷い込んでしまっているかのごとく.....)が、そのようなことが「客観的真理」なのです。

雪を例に挙げましたが、標題が(…海の雪)だからと言って、雪のことを言っているのではないのです。音楽のイメージというものは案外と曖昧なもので、この曲を聴いて雪を思う人もいれば風に舞う花弁を想う人もいれば星の瞬きを想う人もいるかもしれません(嘗て実際にいらっしゃったのですが...)。また「BACH」のように音名のスペルで何かを伝えようとしているのでもありません。音名は限られていますので、偶然の一致が多発してしまい、混乱を招くだけです。或いは楽譜上の何らかの視覚的効果を狙っているのでもありませんし、シェーンベルクのように音列の様々な操作によるものでもありません。

ヒントはこの音楽の「つくり」にあるのです。

私の作品リストであるブログ「雲」にこの“3月”(…海の雪)を掲載しました。そこで触れましたように、この小品は、日本合唱指揮者協会の委嘱によって作曲した〈YUKAR fragment〉やその頃同時に成された民謡編曲などの仕事の余波から生まれたのでした。〈YUKAR fragment〉とは、実は、五つのfragment(=欠片)を持つ《YUKAR fragments》のプロローグとして構想されたのでしたが(これについてはやがて書かれる「雲」の《YUKAR fragments》のページをご参照下さい)、その全体は“3月”(…海の雪)の意味を敷延した「つくり」であると言えるのです。

「それ」は、縄文時代から脈々と私たちのDNAに刻まれ受継がれてきていることに違いないと私は感じています。(いろいろ根拠がありますので、また別の機会に書けたら書きます)

さて、その意味とはいったい何なのでしょうか? ご興味ある方は是非謎を解いてみてください。

●ドビュッシーへのオマージュとしての“4月”(…美しき御寺に風は時折海の予感を運び)

一方“4月”(…美しき御寺に風は時折海の予感を運び)ですが、これは“3月”(…海の雪)とほとんど同じ時期に書かれたものの、そうした意味からは解かれて、極めて楽しく、一種の遊び心で作曲したものです。これはドビュッシーへのオマージュなのですが、横浜市磯子区に在る宝積寺というお寺を初めて訪れた時の印象をドビュッシーの音楽の語法のパロディで綴った小品です。「パロディ」にもいろいろあって、私のこの場合は批判精神や揶揄からではなく、敬愛の念を込めての「もじり」でした。彼のどの作品のどこからのもじりということではなく、総体的に見られる特徴的な語法のもじりであって、勿論彼が書かなかった要素も存在しています。フルートとピアノのための《星の音楽》の第三曲“アルリシャ”もそんな作品で、こうした何の役にもならないであろう「仕事」を結構自分では気に入っているのです。

また、子供の時のドビュッシーの音楽との出会が、私が作曲家を志す契機になって、小学校6年生の時の将来の夢を書く作文にも「ドビュッシーのような新しい道を切開く作曲家になる」と書いたほどでしたが、人生とはなんと儚いものでしょうか! 3.11でショックを受けて気がつけば、あっという間にこんな世の中のこんな歳のこんな人になっていたなんて... でもまだ諦めないぞ〜

以下、引用(以前に“4月”(…美しき御寺に風は時折海の予感を運び)について自分の書いた文章から)。

春の風が木々を揺らし、その葉と葉の間から漏れる木洩れ日や、そよぐ風の音や香り、鳥の囀りなど それらが春の気分と混然一体となった目眩く印象...

 〜奈良英子さんのピアノリサイタルのためのプログラムノートから

引用、以上。

お近くの方は是非お聴きにお出かけください。
演奏会のご成功お祈り申上げます。

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