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2011年12月

2011年12月31日 (土)

欠けた星形の護符

「政府の行いによる惨禍」は続く のつづき、且つ 今年の纏めです。

以下、引用。

メフィストフェレス 寝入ったな。出かしたぞ、身軽できしゃな小僧ど
 も、精を出して子守唄を歌ってくれた甲斐があった。
 今度のことは恩に着るぜ。
 先生、あんたにはまだ悪魔を縛っておくだけの腕はないのさ。
 こいつの心を色っぽい幻の姿でたぶらかせ。
 虚像の海の中へ沈めてしまえ。
 さてこの敷居の上に描かれたまじないを破るには、
 鼠の歯が要る。
 奴らを呼び出すのに手間はかからない。
 もうそこで一匹がさこそやっている、早速そいつに申しつけよう。

 
 鼠、小鼠、蠅、蛙、
 南京虫にしらみの王の命令だ、
 ここへ出てこい、
 そして、この敷居をかじれ。
 こうしてちょいと灯油を塗ってやると ――
 そうら、出てきたな。
 すぐに仕事にかかれ、己に邪魔なのは、
 そのまじないの印の一番手前のとがったところだ。
 もう一息だ、よし、よし、それでいい ――
 さて、先生、どうぞごゆるりと。またお目にかかりましょう。       
ファウスト(目をさまして) またしてもやられたか。
 霊どもの群がり集まった芝居の幕は、
 夢に悪魔を見せられて尨犬に逃げられた
 というだけのことだったか。

メフィストフェレス わたしは、最初すべてであったものの一部、
 つまり、あの光を生んだ闇の一部なのです。
 心のおごった子供の光は、母親である闇と、
 古い王位を争っているのですが、
 まず光に勝算はありませんな、どう焦ろうと、
 なにせ光は物体にへばりついているのですからね。
 光というやつは物体から流れ出て、それを美しく見せますが、
 光の行く手は物体に阻まれるのです。
 だからして、光などというものは、
 遠からずして物体と一緒に滅んでしまうだろうと思われるのです。
ファウスト なるほど、君の立派な任務はわかった。
 君は大がかりにものを破滅させることができないので、
 小刻みにやり始めたというわけだな。
メフィストフェレス むろん小刻みにやったところが、大した仕事はできないのですよ。
 無に対抗しているもの、
 この鈍重な世界というやつですね。
 これまでわたしもいろいろやっては見たのですが、
 こいつにはほとほと手を焼きましたな。
 津波、嵐、地震、火事 ――
 いろいろな手で攻めてはみるのですが、あとには依然として海と陸が残るのです。
 それにあのいまいましい、けだものだの人間だのときた日には、
 全く手のつけようがないのですな。
 これまでどのくらい葬ったことか。
 それでもあとからあとから新しい生命が芽吹くのですからなあ。
 そんな有様なものですから、こっちはもう気が狂いそうなので。
 空気からも水からも、地面からも、
 乾いたところにも湿ったところにも、暖かいところにも寒いところにも、
 無数の芽が出るものですから。
 これでもし炎という武器を自分のものにしておかなかったとしたら、
 わたしは素手でいなければならなかなったところなのです。
ファウスト そうだ、君はそうやって、
 永遠に活動して生命を創り出す力に向って
 冷たい悪魔の拳を振挙げているがいい。
 悪魔の拳は、陰険に固められても、何一つしでかすことはできないのだ。
 混沌の奇怪な息子よ、
 何かほかのことをやってみてはどうなのだ。
メフィストフェレス いや全く仰せの通りですな。
 ではまた次の機会にもっといろいろ承りましょう。
 さて、お暇させていただいてよろしいでしょうか。
ファウスト なぜそう改まるのだ。
 これで己も君と近づきになったのだから、
 きたい時にいつでも訪ねてくるがいい。
 窓はそこにある。扉もあすこにある。
 煙突も君には自由自在な出入口だろう。
メフィストフェレス 実はですね、ちょいとした差障りがありましてね。
 この部屋から出て行きにくいのです。
 あれですよ、そこの閾の上に描いてある星形の魔除け、あれが困るのです ――
ファウスト あの魔除けの星形が邪魔だというのか。
 あれが邪魔で部屋を出ていかれないのなら、
 一体君はどうしてここへ入ってこられたのだ。
 どうやってあの護符の目をくらましたのだ。
メフィストフェレス よくごらんになってください。線の合っていないところがあるでしょう。
 外の方へ向いている角のひとつが、
 ほら、ちょっと開いているではありませんか。
ファウスト ほほう、これは偶然の儲けものだ。
 君は己のとりこになってしまったというわけだ。
 これは大きなまぐれ当りだ。
メフィストフェレス 尨犬に化けてここへ飛び込んできた時には気がつきませんでしたが、
 わたしが正体を現した今となっては、ちょっと勝手がちがってくるのです。
 悪魔はこの家の外へは出られないのです。
ファウスト 窓からでも出て行けばいいではないか。
メフィストフェレス 忍び込んだところから出て行くというのが、 
 悪魔や化物のきつい掟でしてね。
 入る時はどこから入ろうと勝手なのですが、その入ったところから出て行かなければならないので。
ファウスト ほう、地獄にも掟があるのか。
 それは好都合だ、そんなら君ら地獄の眷族とも
 契約が結べるというわけだな、しかも確実な契約が。
メフィストフェレス お約束したことは、お約束通りにきちんとしますよ。
 ちびったり、渋ったりすることはありません。
 けれども契約なんてものは、そう簡単にはできません。
 ま、次の機会に御相談申上げることにしましょう。
 今回は、どうぞお願いですから、
 これで御放免いただきたいので。
ファウスト それにしても、まあもう少しここにいて、
 何か面白い話でもきかせてくれたらどうだ。
メフィストフェレス だめ、だめ、だめです、また参りますよ。
 その折りにはなんなりとお気の済むようにお尋ね下さい。
    〜ゲーテ『ファウスト』(高橋義孝訳 新潮文庫)より
引用、以上。

来年につづく

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2011年12月27日 (火)

ピアノと笛と...

いろいろなメンテナンスのために少し更新が途絶えましたが、先日11日の奈良英子さんのピアノと笛のコンサート、当日のアンコール曲を、こぼれおちる月に追記しました。

この日もまた、奈良英子さんのことを、つくづく素晴らしいピアニストであると痛感しました。
奈良さんのラヴェルの“洋上の小舟”の演奏はとても好きなのですが、そこに、ラヴェル⇒ペルルミュテール⇒奈良さん という繋がりを思うと、また一層ドキドキするものを感じます。

一方、西川浩平さんは、前回のように、日本の伝統の笛についてのお話と演奏をなさいましたが(既載 竜笛の余韻 参照されたし)、今回は、篠笛による祭囃子の笛の調べに江戸子守唄を織り交ぜた即興演奏、それに、能管による能楽的即興演奏が主でした。それは良い意味で非常に刺激的でした。

また、終演後、共演のフルーティスト姫田大さんをご紹介頂いたのでしたが、お三人に関連して書きたいことが小山ほどありますので、また記事を改めて書きます。今日はひとまず「こぼれおちる月」追記のお知らせまで...。

(つづく)

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2011年12月11日 (日)

♪ピアノと笛のコンサート@高木学園(伊勢原) 今日!

既にお知らせしていました(既掲載)ピアニストの奈良英子さん主催の『ピアノと笛のコンサート』いよいよ今日開催です。

◆日時 2011年12月11日(日)
    2回公演 [1回目:16時半開演] [2回目:19時開演]
          開場はいずれも30分前

◆会場 高木学園2Fホール
      小田急線伊勢原駅下車徒歩3分
      改札出て右。広場の右手のコンビニと魚屋の間の道を入り右側。
      高木学園 Tel 0463-93-0368

◆入場料 1000円(未就学のお子様の入場はご遠慮ください)

プログラムなど詳細はこぼれおちる月をご参照ください。

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2011年12月10日 (土)

♪パリ管弦楽団 その1

まさか行けることになるとは思ってなかったのでしたが、突然決行しました。去る11月27日サントリーホールでのパリ管弦楽団東京公演。

20111127prog 指揮は昨年より同管弦楽団の音楽監督に就任された
パーヴォ・ヤルヴィ氏。ソリストはピアノの
ダヴィッド・フレイ氏。
プログラムは前半に
メシアンの〈忘れられた捧げ物〉と
ラヴェルの〈ピアノ協奏曲〉ト長調。後半に
ストラヴィンスキーの〈ペトルーシュカ〉(1947年版)。
元々時間的に余裕を持たせたプログラミングだなぁと思っていたら、アンコールが前半と後半に3曲づつもありました。
前半はラヴェルの協奏曲の後にフレイのソロで、
シューマンの〈子どもの情景〉から第12番“眠っている子ども”と第13番“詩人の話”、それに
バッハの〈パルティータ〉第6番ホ短調から“アルマンド”。
後半は
ビゼーの小組曲〈子どもの遊び〉から“ギャロップ”と
シベリウスの“悲しきワルツ”、そして最後は再び
ビゼーの〈アルルの女〉第2組曲から“ファランドール”でした。

実のところ、放射能の影響で3割はエキストラだ と友人から聞いていたのでしたが、それでも今回のプログラムは魅力的であったし、何故だか強烈に引寄せられる「何か」を感じて聴かざるを得なくなったのでした。憧れのパリ管でしたが、コンサートホールで生で聴くのは初めてでした。

メシアンの〈忘れられた捧げ物〉は、昔々、1978年に、マゼール指揮のフランス国立管弦楽団の演奏で聴いていましたし、その後フランス国立は2004年にマズアの指揮で聴いているのですが、パリ管の響きはフランス国立とは全然違う独自な響きを持っていることをCDなどで感じていました。今回それを生で実感できました。

(つづく)

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♪藝大定期第344回(藝大フィルハーモニア定期)

もう2ヶ月以上前の演奏会ですが、去る10月7日(金)、東京藝大奏楽堂で催された藝大定期第344回『新卒業生紹介演奏会』の随想を書きます。4月の予定が震災の影響で10月に変更されたということでしたが、プログラムが少し魅力の上、友人から招待券があるからというお誘いもあり、でかけました。

20111007prog 本演奏会で紹介された新卒業生は計6名。作曲の堀優香さん、トロンボーンの田中裕香さん、ピアノの梅村知世さん、指揮の仲澤のどかさん、ソプラノの關さや香さん、ヴァイオリンの景山昌太郎さん。
管弦楽は高関健氏指揮の藝大フィルハーモニア(東京藝術大学管弦楽研究部)。

まず初めは作曲の堀優香さんのオーケストラ作品〈バイモーダル ペダル〉が演奏されました。タイトルは作品のエクリチュール(書法)に由来するようです。作曲者のプログラムノートに「ピントを合わせるところやアングルによって写真の雰囲気が変わるように、いろんな素材に耳を傾けながら、そしてその移り変わりを楽しんで聴いていただけたなら、これほど嬉しいことはありません」とあるように、音楽上の異なる要素(バイモーダル=二つの方式)が対比しながらそれぞれの存在感を強めて行き、持続する(ペダル=持続させるもの)、そのプロセスを味わって欲しいということらしい...。今となっては音楽は記憶のはるか彼方ですが、なんとはなく理解しつつも何かしら物足りなさを覚えたという記憶がうっすらあります。まあ、再び聴いてみなければ、今は何とも言い難いというのが正直なところです...。

20111007program 次のクレストン作曲〈トロンボーンとオーケストラのためのファンタジー〉作品42は、初めて聴いた曲で、なかなか面白い作品でした。「トロンボーンにこんな可能性があるなんて!」と友人は驚いていましたが、それを言うなら武満徹さんの〈ジェモー〉を聴いてほしいと思いました。
ポール・クレストン(1906-1985)はアメリカの作曲家・オルガニスト。イタリア系移民の子で、家庭が貧しかったこともあって、音楽は正規の教育が受けられず独学であったそうです。しかし、1950年頃にはアメリカで最も演奏機会の多い作曲家となり、ショスタコーヴィッチにも認められ、世界的な評価を得るようになったということです。知らなかった...。
この初めて聴く作品を充分楽しませてくれた田中裕香さんのトロンボーンは、素晴らしかったです。

3曲目はラヴェルの〈ピアノ協奏曲〉ト長調。
梅村知世さんのピアノはまあ良かったのですが、オーケストラはラヴェル本来の色彩ではなかったように思いました。これは私が座った座席の位置の所為でもあったのかもしれませんが...。第2楽章後半の再現部(コーラングレのソロのところ)では、弦の和音が少し重く、時折ピアノとコーラングレにかぶるような感じでした。ここの第2ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロが作り出す和音は全体に低音域であるので、重くならないように、そして静けさの中に広がる地平のように奏される必要があります。因にピアノは星の海のようです。
また、第1楽章では高音域でのホルンのソロが危うい感じで惜しかったですね。コンディションが今一だったのでしょうか...(最後のブラームスでもこのことは感じました)。

4曲目はバルトークの〈舞踊組曲〉。
この曲はブーレーズ指揮シカゴ交響楽団によるCDが愛聴盤で、スコアを見ながら良く聴いていた曲でした。5つの舞曲とフィナーレの合間合間に少しづつ彩を変えながら挿入される“リトルネッロ”がこの作品の魅力を増しています。レコードやCDでは良く聴いていたものの、演奏会で生で聴くのはこれが初めてでした。非常にキレの良い、作品の魅力が良く引出されていた演奏であったと記憶しています。
指揮の仲澤のどかさんのことを「男装の麗人」と友人...。確かに魅力的でした。そう言えば、今回紹介された卒業生6人中5人が女性。男性は一人、ということもそうですし、私がこれまで委嘱によって作曲させて頂いたその依頼主の方々のほとんどがまた女性でした。この国の文化はまさに女性がリードして成立っているのですね!(最近あらためて実感。)

次は全くカラーが変わって、トマとバーンスタインのオペラアリア。トマのその冒頭の弦の響きの新鮮さよ! 前がバルトークだけあってその変わりようは、会場の空気が全部入れ替わってしまってのではないかと思われた程でした。
しかし、その新鮮な響きとは裏腹に、トマのオペラ〈ハムレット〉より“私の花を分けてさしあげましょう!”は、オフィーリアが、自分の父が恋人ハムレットの父殺しに関与していたことを知られてしまったハムレットに結婚を断られた上「お前など尼寺へ行け!」と言い放たれてしまい、そのショックから狂乱に陥る場面のアリアなのです。
一方バーンスタインのオペラ〈キャンディード〉より“着飾ってきらびやかに”は、オフィーリアの痛々しさとは真逆の狂喜に充ちたアリア。ヴォルテールの『カンディード』が原作ですが、徹底的な楽天主義の世界観。
どちらも狂気と言えば狂気なのですが、ソプラノの關さや香さんは全然違うテンションの役柄をうまく演じ分けていたと記憶しています。

最後はブラームスの〈ヴァイオリン協奏曲〉ニ長調 作品77。
ヴァイオリンの景山昌太郎さんは素晴らしかったと記憶しているのですが、どうもオーケストラの管楽器に不満があったという記憶もあります。今となっては彼方の記憶ですが、元々、それほど良く知っている曲ではなかったこともあり、何とも言えません。

危機感のなかなか去らない震災後の空気の中で、息づく音楽を体感できた一時でした。
皆さんの今後のご活躍をお祈りします。

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2011年12月 9日 (金)

♪柳町正隆ギターリサイタル

去る3日、船橋市民文化創造館「きららホール」で催された『柳町正隆ギターリサイタル』に招待を受けでかけました。

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会場に入ると何やら聴き覚えのある音楽が流れていると思ったら、Bouquet des Tonsのファーストアルバム〈Anthologie〉発売中が開演前のBGMでかけられていました。
ゲスト出演されたお馴染の室内アンサンブルBouquet des Tonsのフルート奏者齊藤佐智江さんに紹介されたのですが、ギタリスト柳町正隆さんは『エチュード・ギター研究所』主宰で多くのお弟子さんを持ち、ご自身の演奏活動も頻繁に続けられていらっしゃいますが、その長年の多様な音楽体験を活かされた緻密な編曲には脱帽!

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また、もう一方のゲストの尺八の金野鈴道(こんの れいどう)さんとの共演も素晴らしく、お二人は『弦竹』(いとたけ)という名のユニットで共演を続けられてるとのこと。五孔尺八の奥深いソウルフルな調べとギターとの高次元融合世界に魂が浄化されました。

終演後、私は、柳町さんからの来年のコンサートのこのお二人ための小品の作曲の依頼をお受けしました。アルトフルートとギターのための〈NOSTALGIA〉〜故郷の島〜発売中も取上げてくださるということで、光栄の至りです。来年、乞うご期待!

エチュード・ギター研究所

『弦竹』については→こちら
後註:リンクが変更されたようで無効になってましたので設定を外しました。

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2011年12月 6日 (火)

「政府の行いによる惨禍」は続く

南部合唱団との熱き一夜 - つづき - のつづきです。

「政府の行いによる惨禍」続く中、皆さんご無事で過ごされてますか。
(政府に関することについて書くのはこれが最後のつもりです。)
首相はハワイにのこのこ出かけてしまいました。泥鰌どころか坊ちゃんになりにわざわざ...。
最早、うしろを振り返ってもオイリディーチェはいないは、国民も食い殺されるは の運命でしょう。(このままでは健保制度は破壊され食物主権も奪われ企業も次々倒産... 弱いものからバタバタと倒れてゆき死体が路上にころがる...)

おすすめサイト→【動画:#TPP導入で、米国流強奪司法がなだれ込む】日本政府、企業、個人が、米国巨大企業に訴えられ、米国で裁かれる。11/5 山崎淑子 @真相JAPAN・第四回勉強会「TPPによる日本再占領と崩壊する世界秩序に立ち向かう知恵」より+安部芳裕氏「TPP 22の真実」 by 山崎淑子の「生き抜く」ジャーナル

「日本のうたごえ祭典inちば」を経て私が一番に感じた思いとは「切なさ」でした。
それは、フォークグループ「ヒューマンファーマーズ」の皆さんによる“よみがえれ浜通り”の「夢を追いかけていたあの日に帰れない それでもここで生きてゆく」という、とても胸に響いた歌の一節に象徴されると思います。

おすすめブログ→ドイツ放射線防護協会によるフクシマ事故に関する報道発表 by フクシマハートネットワーク

もうひとつの思いは「悲しみ」です。
「どんぐり」のお二人による作詞作曲“基地のない沖縄”では沖縄への思いが民謡調の美しいメロディに乗って率直に歌われていました。歌詞の一部を紹介→「デイゴの花散る時 蘇る記憶/戦に喰われ赤く染まった 大地と海原/民衆を欺き交わされた 島を売る密約/命どぅ宝 私の島 基地のない沖縄」

おすすめサイト→田中沖縄防衛局長「犯す」発言をきっかけに、考えてほしい、読んでほしい。  by Peace Philosophy Centre

祭典中3.11大災害以降に生まれたホットな歌の数々が響き渡りました。その中には被災地からの生々しい発信も多くありました。憲法九条への新鮮なアプローチもありました。一方全く関係なく他愛のない日常を歌ったものもありましたが、それら全ては尊い行為であると思います。

私はと言えば、震災後完成させることの出来た作品は、演奏時間僅か3分程のフルートソロのための与謝野晶子の歌による“夏の風”(中島雅子=島根オイリュトミー 委嘱)のみです(後註参照)。勿論音楽のことが頭から離れることはありませんでしたが、地震や放射能についての情報収集に必死でした。(後註:Bouquet des Tonsのために書いた、寮美千子さんの『奈良少年刑務所詩集』からの“くも”もありました。)

貴重な情報源(厳選)を以下に纏めておきます。
(一般的なニュースサイトは省きます。)

山崎淑子の「生き抜く」ジャーナル
植草一秀の『知られざる真実』
小出裕章 非公式まとめ
武田邦彦
反戦な家づくり
天木直人のブログ
Peace Philosophy Center
SAVE CHILD 放射能汚染から子どもを守ろう
(今後追加される可能性もあります)

前にも書きましたが、このブログで政府について書くことはもうないでしょう。「風の耳」本来の目的に帰ります。

最後に心に響くことばを引用して終わります。

芸術とは運命への反逆である。 福永武彦

さらにつづく

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