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2011年11月17日 (木)

空からの恩寵のように降りそそぐ雨は・・・

ジャン・アランのことは、ほとんど何も知りませんでした。
でも、早島万紀子さんからのご案内を見たとたんに、直感的に何かを感じ、その「何か」に導かれるように、一昨日、友人を誘って演奏会にでかけました。(前記事参照)

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演奏会は、タイトルロールの“空中庭園”から始まりました。私はプログラムの曲を追う毎にその世界に引込まれていきましたが、最後の“終課のための後奏曲”に至ってのことです。その時、内から溢れるものを抑えることができませんでした。これは単に、若くして戦場に死したということへの同情からなのではなく、それ以上の、もっと根源的な「何か」が私の心の琴線に触れたのです。(※)

私は、姉妹ブログ「こぼれおちる月」の一番はじめに書いた記事を、今、想い起こしました。

人間の胸の内に秘められたあらゆる苦悩を静かに見つめ、理解し、赦し、そして限りない静寂の中に少しずつ広がる波紋は、やがて堰を切って流れ出す涙のように溢れ、高まり、そして沈黙へと還って行った、静かにゆっくりと。(空からの恩寵のように降りそそぐ雨は・・・:こぼれおちる月より)

“終課のための後奏曲”。私はこれまでに、オルガンがこのように限りなく優しい響きを奏でるものなのだ、ということを知りませんでした。

家に帰って早島先生が執筆されたプログラムノートを読みながら想い出してまた涙・・・
私は今、また思い出す...

音楽は水に映る月。「掬っても掬っても(指の間から)こぼれおちる月」。でも、そこに愛がある時、そのとらえ難い月にそっと寄り添うように言葉を巡らせる時、言葉は不可視の領域の視えない優しい指になる。(同上より)

早島先生のオルガンリサイタル『ジャン・アランの空中庭園』は、作品・演奏・プログラム、それら全てを含めた演奏会そのものが、素晴らしい芸術作品でした。

そして、震災以来忘れかけていた大切なことを、私は実に素晴らしい人たちによって生かされている という思いとともに、私に甦らせたのです。そう、音楽を。
勿論、戦争や放射能汚染の現実を忘れることでも、私がジャン・アランやバッハになる ということでもありません。私は私の音楽になる...。

いつか私は
私自身の涙になって
銀色の 空の涙に
溶け込んでゆく

 

“銀色の雨”(飯島星/作詩)より

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※ アンコールは、同じジャン・アランの“鳴りっぱなしの2音による子守唄”Berceuse sur deux notes qui cornent でした。

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