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2011年5月22日 (日)

安全も安心もないこの国で…(追記訂正あり)

誤動作で消去してしまった記事のなかで重要なもう一点。「安全保障」とは何か?
真の安全が保障されるには、戦争について言えば、相互に「戦争放棄」を誓い合わない限りそれはあり得ないし、核についても、相互に「非核三原則」を誓い合わない限りは、それによる脅威から解放されることはやはりあり得ない。
私たちには憲法という最高法規があり、これは主権者国民から公人への言わば命令書だ。公人たる者、何人もこれに叛いてはならないのである。
日本は広島と長崎に原子爆弾が落とされた1945年に敗戦を迎えた。その後作られた日本国憲法には、「戦争放棄」のことは、私たちの国の立場として、ちゃんと明確に規定されている。第九条がそれだ。
ところが、今まで、ちゃんと護られたためしがなかった。非核三原則も、「沖縄密約」によって秘密裡に破られていたことは最近になって立証されたし、この国への原子力発電所導入が、核アレルギーの日本人への「毒をもって毒を掃す」心理誘導作戦として、米ソ冷戦構造の中での戦略構想の一環として推進されたことは既に示した。そうした際の売国奴たちの暗躍も勿論。
だから、凡ゆる意味で、「原発震災」の問題は、日本の根幹を揺るがす、まるで巨大地震のような大きな問題なのだ。
「日本の根幹を揺るがす」と言ったが、それは、言うまでもなく「個人の人生まで変えてしまう(破壊してしまう)ほどのこと」と言い換えられる。つまり、個人の危機であり、民主主義の絶体絶命の危機なのだ。
安全も安心もない悲惨なこの国でいったい私たちはこの先どう生きて行けばよいのか? 人間が生きるとは何か? 生きるために本当に大切なものごととは何か? 苦しむことが生きることなのか? また苦しませることが生きることなのか? 殺すことが生きることなのか? 生きることとは殺すことなのか? 家畜のように権力にかしづくことが生きることなのか? 競争が生きることなのか? ただ犠牲になることが生きることなのか? 人類に救済はあるか? …様々な問が眼前に津波のように押寄せて来る…。
…しかし私は痩せても枯れても作曲家だ。そのような重いテーマにも、作品で応えて行くしかない。
思えば、未完の〈YUKAR〉も、交響曲〈大地の歌〉も、〈父は空 母は大地〉も、やはり未完の〈ラヴェルの墓〉も、〈ポール・クローデルの『百扇帖』による二重奏詩〉も、今までもそうだったのだが、ジャンルを超えたより新しい表現としての次の新作オペラで、私は世界を変える。

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